平成最後の…

たとえば、「平成最後」に乗っかった今日この頃いかがお過ごしでしょうか。
ひょんなことから実家に戻った。
それまでも会社の資金繰りはダメだったが、年も明けて2週間くらいのある日、全員集合させられて「本日で事業停止、来週破産」と通達。リーマンブラザーズよろしくその日のうちに置いてある私物を、持って行けるだけ持って、事務所を追い出されたことから始まる。
どうするかと思案しても身体が追いつかずに、「寝付けるが数時間で目が覚めてそこから眠れない」「お腹は減っているが食べる気力が無い」状態で数日過ごし、なんとか実家に連絡し、幸運にも3時間くらいで帰れるのでいったん状況を説明し、とりあえず就職活動をすることを伝えて、やっと気持ちが落ち着いてきた次第。


部屋に戻ってきて、「実家に戻るかダウンサイズするかはわからないが、物は減らさないとね」ということで、かたづけることにする。もう目の前のものから手をつけるしか無いので、声優やアイドルの写真集や雑誌などをジャンルでわけて、秋葉原のRへもちこむ。
リュックひとつ分は引き取って貰ったが、もうひとつ分は引き取れないというので、そのままSへ持ち込む。こちらでは引き取るが査定額は付かないとのこと。初日は2000円くらいのあがり。
次の日は、アイドルものをもって秋葉原のTにリュックひとつとエコバックふたつを持ち込むが、やはりひとつ分のみの引き取り。持ち帰るのも面倒な量なので、そのまま神保町のVへいってなんとか引き取って貰って、この日は7000円くらいのあがり。
部屋をかたづけつつ、多少不具合のあるカメラやトイカメラを兵庫の業者に送りつけ、本当のジャンクカメラとラジオなんかを上野のハードオフに持ち込み、買い取って貰う。
続けて、間違って買った英語キーボードや、楽天koboの古い端末、どうしてあったかわからないマザーボードなどをじゃんぱらに持ち込んで買取。意外と高く買い取って貰って15000円くらいに。査定に時間がかかるというので、いったん戻ってフィギュアなどを持ってプレオープンの駿河屋本館へ。多少日焼けしているものの引き取って貰って終了。
ここで財布がパンパンになったので、ATMで千円札をがさっと、小銭をばらっと適当に放り込んだら、なんだか詰まってしまった。インターホンで連絡して、警備の人が来て取り出して金額確認するまで1時間くらい待つ羽目に。こちらがいくら入れたかわからないから、隅から隅まで探してたみたいなので、「お札で何円、小銭で何円です」って言えたらもっと早く終わったんだろうなと。悪いことをした。
平行して不要物(このご時世にVHSテープが山ほど出てきたほか、なんで取っていたか分からないコミケのカタログとか)を捨てつつ、アイドルグッズを金沢の業者に送りつけ、査定額のつかないCDを中心に「もったいない本舗」に送る用の荷物をわけていく。結局、グッズは200円、CDは15000円ちょっとで買い取ってくれた。
そして家電の類いを近所のリサイクルショップに持ち込んでなんとかスペースを確保し、足場が広がってきたので、動かす予定の無いPC-98本体とか壊れたレーザープリンター、いらないケーブルなぞをリネットジャパンに送りつける。140サイズの箱に20kgギリギリまで詰め込んだのを3日連続で出すのだから、配送業者って大変だよね。
そうこうして、もう動かすシステムが無いアーケードゲーム基板やハムフェアで買った電波新聞社のジョイスティック、多少改造してあるメガドライブ2などをBEEPの出張買取で引き取って貰ったら、レア基板が多いらしく20万越えの買取額。これで人心地つく。
ここまでは調子よく売りつけられたが、難問が登場。セーラームーンやエヴァ世代の同人誌が3箱ほど出てきた。うん、重いね。
調べたら愛知の方に送料元払いで送れば処分してくれるところがあったので、送りつける。こちらはゆうパックの25kg制限ギリギリまでに調整して集荷を頼むのだから、配送業者って大変だよね。
話は前後するが2月に入ろうかという時に、駿河屋の安心買取の見積もりが出たのでその分を送りつけて、これ幸いと本やWindows95世代のマルチメディアソフト、CDを500枚くらいとかどんどん送りつけていき、いよいよ声優雑誌とLDの2大巨頭(どちらもまとまると想像以上に重い)も仮査定して送りつける。結果、駿河屋だけで30万くらい売り抜けた。
なんとか2月も終わろうかというころには、元々あった物の3割くらいになった感じで、いよいよ先が見えてきた。また3月末退去とすると1ヶ月前なので、管理会社に連絡して退去届を送って貰い、またライフラインやケーブルテレビ各社へ「月末の数日前に止めてくれ」と連絡をし、さらに最終前夜のカプセルホテルの予約も入れていく。
あとは着ているものも含めて、ちょぼちょぼと捨てていくが、棚やベッドは買い換えるつもりで全部廃棄、実家なので冷蔵庫も洗濯機もあるのでこちらも廃棄とやっていたら、予想よりもはやく”設備の少ない民宿の部屋”くらいになってしまった。「まぁなんとかなるよ」といった手前、畳にひいた布団で寝起きし、テレビも直置き、PCはノートPCで、スピーカーもかたづけちゃったからスマホから音楽を流す始末。うーん、ミニマリスト。
3月中旬が荷物を持っていく最後のチャンスだったので、テレビやシーリングライトも持って行くと、もうやることがない。10時くらいに起きてメールのチェック、惣菜パンを1個食べて軽く昼寝、15時くらいに起きてウェブチェックをし、風呂に入ってから、17時半くらいに家路を急ぐ人の流れに逆らって、駅まで行って、どこかの店で食べて、スーパー寄って明日のパンと今日の酒を買って帰るルーチン。これですら冷蔵庫も電子レンジも無いから、缶酎ハイをロックアイスで冷やしつつ、プラカップに氷を入れて、出来合いの惣菜とポテトチップスで流し込みつつ、ワンセグでしょぼしょぼ見る感じ。ドミトリーだってもう少しましだよ。
そんなこんなで、最終3日前。明日からは業者が来てフルで空いているのはこの日が最後なので、役所にいって異動届を提出する。「2時間くらい待つかも」というオフィシャルの予想から、だいぶ余裕を見て行ったものの、番号札貰ってから15分くらいで呼ばれて、5分くらいの手続きで終わり。ただ、マイナンバーカードを出して手続きすると「マイナンバーカードでやりとりしますので、いわゆる『転出書類』のようなものはでません。転出先でマイナンバーカードで手続きしてください」だって。そのくせ、そこから30分くらい待って出てきた書類には「マイナンバーカードを忘れるな」という注意事項だけで、これなら待たせなくて良いんじゃない?とは思った。昼飯を買って昼寝して、夕方からのルーチンで過ごす。
最終2日前。この日は、ケーブルテレビの撤去があって当初13時で連絡していたのだが、当日になって「午前でもよろしいでしょうか。というか今からでも大丈夫ですか」という電話が8時半くらいにかかってきた。それ自体は問題ないので来て貰って、ルーターを持って帰って貰う。本当にやることが無いので、もう一回眠ってからいつものルーチン。
最終日前日は、電気、ガス、水道の締め日なので、朝から待機。最後に掃除機をかけてブレーカー落として待っていると幸先良くガス屋さんが来てくれたが、それから2時間くらい誰も来ない。申込時のメールをよくよく見ると「現金精算ではない方は、お立ち会いの必要はありません」って。
もう電気は落としたし、布団も袋入れちゃって、冬物とかもゴミ袋行きなので、日差しはあるものの、部屋の中は寒いのよ。それなら待つことも無いので、ショッピングモールでぶらぶら時間潰して、カプセルホテルにチェックイン。早速ひとっ風呂浴びて、ラストナイトの居酒屋へゴー。好きなように飲み食いしていたら6000円超え。
そしていよいよ最終日。一足早く両親が車でやってきて、掃除道具などを積み込んで2時間ほど待ち。時間通りに管理会社から請け負った業者が来て、ざっくりと見て、こちらの署名をして終わり。鍵を返して15年超におよぶ1人暮らしも完結。感慨は無かったなぁ。しかし、業者の人、「花粉症なのでマスクで失礼します」はいいけど、いくら暖房つけてないにしてもコートくらい脱ごうか、という気はした。
そこから戻りしな、役所に寄って転入の手続きとかをして、実家に戻って「平成最後の引越」は終了。その日はもうやる気も出ないので、LANケーブル伸ばしてPCを使えるようにして、3週間分くらいのメールの処理をして、寝る。
あとは箱から出して並べて、平行して住所変更の連絡、月曜に警察署行って免許の書き換えをして、やっとこ落ち着いた感じ。本当は棚の一つも欲しいけど。
DSC_0031.jpg写真は警察署からの帰りに見た桜。上から見るとまた違った趣ですな。
例年通りでも年度末の3月は引越のハイシーズンなのに、今年はレオパレスの退去者も多くて業界は大変だったと思う。こちらもある程度箱数がわかってから試しにWeb見積もりで概算だそうとしたら、「3月20日~4月5日はお見積もり出せません」って出てきて。もう人手は足りないし、でも依頼はあるしで、いくらになるか分からない状態だったみたい。Webのコメント見てたら、「見積もりが40万とか出て、無理」「宅配で送りつけた方が安かった」なんてのもあったし。
今回の引越は、戻る場所もあってライフラインはすでに通ってるから物の移動だけで済む上に、家財道具のほとんどは廃棄したので、カゴ台車1個分くらいには収まったけれど、それでも実家から来て貰って、ゴミ処理場への持ち込みが2回、荷物出しで2回、最後の掃除道具などで1回と、車で移動してなんとか終わった次第。
物にあふれていた頃には「カーシェアで借りて持って行くか」とも思ったけれど、13年くらい運転してないし、近くの処分場はまだしも高速乗って行くのはリスク高すぎなので、1月下旬から3月頭までは、週2回の燃やすゴミの日には毎回45リットル袋で3つも4つも捨てて、毎週の資源ゴミでは縛った雑誌や紙ゴミを6束くらいか段ボールを3束くらいを出し、隔週の不燃ゴミやカン・びんゴミも2袋ずつくらい出していって、やっとこの程度の荷物にしたというのが本当のところ。
「ものに思い入れがなくなった」「あとで使う」となった時点で処分し始めないとダメ、というのが平成最後の引越から得た教訓でした。