たとえば、古い物を引っ張り出しての埋めくさという今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
旅に出るきっかけを作ってくれたゲーム版の『お嬢様特急』が世に出てから、15周年となる今年。せっかくなので、その当時の旅雑記を再掲載したいと思う。当時は、ブログ形式ではなく、単独の記事だったがまとめたのと、このころからデジカメなのでカット数が増えているのだが、夜な夜なスマートメディアからコピーしていたのもいい思い出。
●2002年3月上旬
会社を辞めた。諸々の引継が終わり、花粉症も弱まってきた頃、通帳を記帳してみると、思っていたより退職金代わりのものが入っていた。ピピン@と頭にひらめいたのが「18きっぷ2枚買って、1日1万使っても大丈夫じゃん!!」というナイスアイディア。Jドキュメント750で放送中の「声優ワンダーランド」の録りは3月28日には終わるはずなので、それを確認してから出たとしても、4月10日には間に合うじゃーん。すると10日間も出歩くわけで「いつものようにパーフェクトが出ますと、『選べる旅、選ばれる旅、LOOK JTBで行くオーストラリア・シドニー、ケアンズ8日間の旅』をペアで視聴者の方へプレゼント」という「世界ふしぎ発見!」のアレより長い旅になるっつーのだ。というわけで、なぜか家に転がっていた昨夏の時刻表(オレが買ったわけではない)を片手にシミュレーションをする。
松本から糸魚川、金沢、岐阜、名古屋、草津、京都、大阪、岡山、広島、小郡、博多、阿蘇、枕崎(夢の崎)まで行くのにだいたい5日。以前の旅の反省も含め、「今回は行く先々でうまいものでも食うか、そいでゆっくりいきまっしょ、がんばっていきまっしょ」ということで、10日もあればお釣りが来ちゃうスケジュールになる。「いや、東京に戻っても3日分はあるから、じゃ北だろ、普通」ということで、だいたいのアウトラインは決定。
そうとなったら話は早い。最終日がわかっているので、最悪そこに合わせて、10日の札幌発羽田行きの航空券と、9日チェックイン10日チェックアウトのホテルをさっさと予約する。航空券は、金券屋やAIR-DOも考えたが、念のため検索してみると時間があることから「21日前予約」が適用され半額以下で乗れることがわかった(チケットレスで11,000円くらい。通常24,000円くらいで、金券屋では17,000円くらいだから)。即予約したのはいうまでもない。ちなみに、前回(1998年9月)と同じくJASにした。一応マイレージのカードも作ったことなので。ホテルの方は、おなじみドーミーインが今年2月に札幌にオープンしたらしく、キャンペーン値段は終わっていたが、それでも「旅の窓口」経由で1泊5,500円だったので予約を入れる。あとは18きっぷを買うのみ!!
●2002年3月下旬
18きっぷも購入し、そろそろと準備を始める。なんせ今回は(以前もだが)、なにも言わずに出ていこうというのだから(言うと反対されるため)。「声優ワンダーランド」の録りも終わり、アメニティや着替えなどをリュックにぎゅうぎゅうとつめこむ。出発は29日を予定!!
イメージトレーニングのために、PS版「センチ」をプレイする。「センチ」は特にねらいは定めずにプレイしていたら妙子の最終イベントが発生してそのままエンディングにいってしまった。SS版では、3月21日までいってから選んだような気がしたが…。気を取り直して「お嬢様特急」をプレイ。以前遊んだときは、ものすごく時間がかかった印象があるが、一気に遊んでいるせいか1日かからずにクリアしてしまった。やっぱり最初にクリアしたのが真美ちゃんというのが笑える(最初にプレイしたときもそうだった)。時間があるので、再度挑戦。今度はみらいちゃんだった。ところで、日本3大旅ゲーといえば、この「センチメンタルグラフティ」と「お嬢様特急」、そして「日本縦断ウルトラクイズ」(ナゾラーランド1号収録)だと思うのだがいかがだろうか。
●2002年3月29日
頼まれていたワープロ打ちが終わらないので、出発を延期し1日これに取りかかる。雨が降ってたというのもあったし。夜には終わり、メールデータをリブレットに移し、最後の荷物チェック後、目覚ましかけないので予定通り起きるわけはないと思いながら、就寝する。
●2002年3月30日
起きたら9時半を廻っていた。当初の予定では、6時に起きて始発のバスで駅まで行き、松本行きに乗るはずだったが、まぁいいか。厳密な予定じゃないし。もとより今回の旅は「予想はするが、予定はたてない」「そのため時刻表も持たない」という気楽だか、ストイックだかわかんないコンセプトで行くことにしているので、マンペイライ、マンペイライ(タイ語で「気にしない」「どうにかなる」といった意味)。
10時5分のバスに乗り相模湖駅に到着。次の列車まで時間はあるので、近くのお店で食料を調達する。例によって2リットルのお茶(今回は新製品の「中国緑茶」)と菓子パンをチョイス。というか、この店、おかずになるようなパンが異常に少ないし、微妙な賞味期限のおにぎりやサンドイッチを買うのもリスキー。
10時28分発小淵沢行きが来たので素直に乗る。なんだかガキが多い。ガキといっても、小学校高学年~中学生くらいの団体と引率っぽい人たちの集団で「下手なところに乗り合わせたなぁ」と思いながら空いている席がそこしか見あたらなかったのでとにかく座る。大月や甲府あたりですぐ降りると思ったら、韮崎まで2時間近く乗っていた。そーいや韮崎になんかの設備があったなぁと思いつつ、そこから終点・小淵沢までは30分も無いがとにかく腹が減ったのでパンを食う。
小淵沢では、1時間20分ほど待つことになる。以前はホームや待合室で、文字通りぽけーっと待っていたが、今回はアグレッシブに行こうということで、駅を出て散策することにした。富士山や白州の山々を見ながら15分ほど歩くとスーパーが見えたので、そこで食料を調達しようとしたが、あまり大したものはなく、これなら途中にあったコンビニでも同じかと思い引き返した。結局、コンビニでは食事は買わずおつまみと酒を買い、駅の待合室で飲むことになった。
駅について看板で知ったのだが、小淵沢にはサントリーの白州蒸留所があるそうで、「車で10分」と書いてあったから、行けなくもなかった。ただ、今度の列車を逃すとまた1時間20分ほど後の列車になるので、今回はあきらめた。また機会があれば来るとしようぞ。
14時9分発長野行きに乗る。松本までは1時間ほど。途中、上諏訪駅でホームを見ると「唯一!ホームに温泉のある駅」という看板が見えた。確かに入湯口のようなものも見える。問題は、列車を降りると次の列車まで1時間ほどあることで、さすがにこれもパスさせてもらった。
松本到着。大糸線の時刻を見ると、30分毎に出ている感じなので、ちょっと買い物をすることにした。車窓から「酒が安い!」という看板が見えたので、そこまで歩いていったが、ねらいのものは無くまたすごすごと帰ってきた。駅前の例の中古屋ショップを覗くがさすがにFXものは無いようで。ところが、この2階に秋葉にもある「紙風船」がなぜか出ていたので、よってみた。土曜の午後にしては客が誰もいない、というのはいかがでしょうか、と思いながら、サターンの棚を見ていく。とりあえず「ボイスファンタジア」と音楽CD「クイズなないろDREAMS 虹色町の奇跡 ボイスコレクション」を購入。合わせても1,200円程度。
ホームに戻ると大糸線が行った後だった。1時間間違えて見ていたらしい。次の列車はなんと40分後。「しぇ~あと5分早くきていれば乗れたのにぃ」と後の祭り。
16時45分発信濃大町行きに乗り、終点で降りる。駅前に店はあるのだが、早じまいしているし、コンビニの類が無い。しょうがなく戻って立ち食いでも食べようかと思ったら、そちらも店じまいの支度をしているので、注文できず。KIOSKで暇つぶし用に雑誌を買って読む。
18時39分発南小谷行きに乗る。先ほどの信濃大町もそうだったが、ここらへんはスキー場が大変多く、車窓から見えるところでもまだ雪が積もっていたりする。そのせいか、かなり寒くなってきている。
南小谷到着も、もう周りは暗いし店も見あたらないし、というか待合室でストーブ焚いてるし、親子連れがおにぎり食ってるし。それでも駅前にぽつんとあった「ラーメン大学」で飯を食うことにした。ここから向こうはJRの西日本らしく、そのせいで距離の割には直通がないのである。時間もあるので、時刻表を見ながら、がんばれば今日中に富山まで行くことがわかったので、何となく安心する。
20時26分糸魚川行きに乗る。先ほどもワンマン車両だったが、こちらは見事に1両編成。大月あたりから聞いていたMP3プレイヤーの電池がここで無くなる。特に止めなかったのでトータル9時間くらいか。
糸魚川到着。またしても1時間半ほど待つことになる。今日は、1時間待って1時間乗ってといった感じのダイヤが多いような気がする。ここでの待ち時間はちょっと長かったので、正直、チェーンの居酒屋があれば入って飲んだのだろうが、見慣れない店しかないのでさすがに入る気にはならず。いきなり赤提灯もリスキーでしょうし、まだ初日だし。コンビニで缶チューハイとおつまみを買い、またもや待合室で飲む。
22時52分発富山行きに乗る。富山に着くのは日付の変わる頃。それでも、糸魚川よりは栄えていて、ホテルもかなりある。名前から安そうなビジホを選び、早速チェックイン。さっさとシャワーを浴びて寝ることにした。
●2002年3月31日
寝付いたのは3時近かったのに、6時過ぎに目が覚めた。予定組まなくても普段と一緒じゃん、という感じ。
7時5分発金沢行きの乗り、着いたのは8時。ほとんどの店はやってないので、ぶらつくことにする。近江町市場を見つつ兼六園へ行こうとするが、今時分「利家とまつ」博覧会を兼六園近くでやっており、このまま行くとただの観光客になってしまうので、途中で引き返す。で、片町・香林坊を目指す。竪町商店街をぶらつくと期せずしてゲーマーズとアニメイトを見つける。当然やっていないが。商店街を抜け、犀川の例の碑を見る。それよりも、川岸の桜並木が見事だった。目にゴミは入らなかったが、しばし見とれる。ここらへんは駅から歩くと30分程度。行きはよかったが、帰りは暑くなってしまった。
そこからは、岐阜・名古屋まで一直線(の予定)。けれど、金沢から福井、近江塩津、長浜、米原、大垣と乗り継いでやっとこさ岐阜に到着。これで5時間。ちょうど、JRの西日本と東海の境目なので、距離の割に直通がないのがしんどい。こういう時に時刻表がないというのがネックで「すぐ目の前の電車に乗らないと、次はいつ来るのか」「○○行きとあるが、××は通るのか。その手前なのか」といった情報がわからず、食事をおちおち買いに行くこともできない。多少時間があれば、いちいち改札を出て窓口においてある時刻表を見に行けるのだが、それでも結構面倒。
名古屋では、銀行でお金をおろして気分が良かったので、銀座ライオンで一服。「名古屋セット」というドテ煮、ミソかつ、手羽焼きをちょっとずつセットにしたのがあったので、それをチョイス。しかし、なかなかこない。大ジョッキの半分以上飲んでしまったので「子羊カルビの鉄板焼き」を頼む。食べてから気づいたのだが、これって食べやすくしたジンギスカンだよなぁ。
さて、ここからまた草津・京都・大阪を目指す。名古屋からは、米原、草津、京都、大阪とストレートにつく。しかし、日曜の夜だから店は早くしまってるし、こちらも早く横になりたいので、写真だけ撮ってさっさと次の駅を目指す。こない間に、ここらへんの路線名表記が「山陽本線」から「京都線」「神戸線」などとかわっていたので、ホームで迷ったりした。もっとも、私鉄との競争やお客さんのストレートな物言いがあるからこその変更だと思う。単純に「なんでここらへんの電車やのに『山陽本線』なんて名前なん?」ということだとは思うが(ちなみに関西本線というのは、名古屋~奈良の方にすでにある)。
本日の宿は姫路。最初、出口を間違えて出て、さらに旅の窓口で5,000円と指定したホテルはものすごいいいホテルで、おっかなびっくりフロントで聞くと案の定「シングルですと9,000円となっております」とのこと。さすがに泊まれないので、恥ついでに「ここらへんで違うホテルはあります?」と聞いてしまった。すぐ裏手にあったホテル姫路プラザへ。往年のビジネスホテルで部屋も狭いし、訳の分からない絵がかけてある。この手の裏にお札が張ってある、というのは定番だが、ほんとにあるとイヤなのでめくらないことにした。時間があるので酒でも飲むかと製氷器から氷をもらってくるが、疲れているのかそんなに飲めず。あとモジュラージャックだったが、接続がうまくいかず、翌日公衆電話からアクセスすることになった。
●2002年4月1日
日付が変わる頃に寝たはずだが、やっぱり6時くらいになると目覚ましをかけたわけでもなく、目が覚める。で、それですぐ動けばよかったのだが、うだうだとやって7時40分頃に出発。もう岡山へ直接行く電車の無い時間帯で、途中の相生で1時間ばかし待つ。ついでに飯を食らう。
相生から岡山までは1時間程度だったが、睡眠不足か薬のせいか猛烈に眠くなる。というかこの電車、姫路発だったので、時刻表を見て素直に乗ればよかったと後悔。なんとか岡山に到着し岡山から瀬戸大橋線で高松へ。座れたので、爆睡。気づいたら大橋を渡って四国に上陸していた(この間40分程度寝ていた)。
高松。前回(1998年10月)きたときは、仮設駅で周りも工事していて地図と整合がとれず宿を探すのに苦労したが、現在は新しい駅舎できれいになっている。で、やっぱり予定たててないので、突発的に女木島へ行く。
戻ってきてから、ライオン通りあたりで鶏でも食べようと思ったが、面倒くさくなったので、うどん屋を探す。で、前回泊まった宿を記憶を頼りに探すとまだあったので、なんとなくうれしくなる。結局、外では食べずにホームの立ち食いで。
岡山から直接広島行きに乗ればよかったのだが、来た電車に乗ってしまったので、途中の糸崎で小1時間待ち。この駅前には似つかわしくないICカード公衆電話があったので、メールのチェック。ここから広島までは1時間ちょい。18時45分頃到着した。
ここで食事でもして次に行こうと思ったが、目の前に「魚民」があるので、そこへよってしまった。当然30分あたりで出られるわけが無く、駅で時刻表を確認すると今から宮島に行っても戻れないことがわかったので、結局広島で泊まることになった。だが、なにか高校生の団体が来ているらしく宿がとりづらかったが、なんとか確保する。6,300円とちょい高い値段ながら、ユニットバスは広く、またベッドもセミダブルくらいあった(逆に考えると、大浴場が無いからユニットバスを広くしたのかも)。ちょいと歩けばコンビニも焼鳥屋もお好み焼き屋もあるので、これはいい場所かも。荷物をあけて、とりあえず夕食を。せっかくだからお好み焼きでもと思ったが駅前にはらしい店はなく、駅ビルの中になってしまう。一応見てみるが、なんとなくパスしたい感じ。で、結局魚民の下に入っていた笑笑で飲み直し。宿にもどってページの作成。
そんなこんなしているうちに、実家から電話。何を隠そう、何も話をせずに出てきたので「あんた、なにやってんの」という電話。元々、連絡を入れる方ではなかったので、たまに無断外泊になることもあったが、今回は書き置きもしてこなかったから、余計心配したみたい。これは反省。初日の小淵沢に着くまでは「ああ、心配かけるかなあ」とか思っていたのだが…。
さて、明日は九州へ上陸し、博多ではっちゃける予定。
●2002年4月2日
広島の宿を出て、30分ほど歩くと平和記念公園。広島自体は、1990年10月の修学旅行で来たことはあるが、そのときは原爆ドームが修繕工事のためビニールシートがかぶせてあり見ることが出来なかった。もっとも母が長崎の出身のため、原爆の写真集などは小さい頃から家にあった(「はだしのゲン」より先に見ていた)し、長崎の資料館も小学生の時に行ったことがある。あまり浮かれて見る場所でもないので、早々に立ち去る。さすがにあと30分かけて駅まで戻る気力もないので、路面電車に乗って広島駅へ。
広島からは宮島口経由で日本三景の一つ、安芸の宮島へ行く。しかし今時分行くような人は、9割以上お年寄りか家族連れなどのツアー。行きの船内では、はしゃぎすぎでうるさいっつーの。で、ここも修学旅行で寄った(正確に言うと、東京から来て宮島で一泊、翌日に原爆資料館を見て回り、それから京都へ行った)ことはあるのだが、ここでも厳島神社が台風か何かで修繕工事でビニールシートがかぶせてあった。今回リベンジと思ったが、前まで行くと拝観料を取られるので中には入らず、大鳥居だけ撮って帰ってきた。しかし、女木島とは違い「観光地でござい」という感じのたたずまいが少々鼻についてあまり楽しめなかった。飯とかも「名物あなごめし」ってあるから頼んだが、普通に穴子の蒲焼きが乗っているだけで。むしろ値段が高い方がアレだよなぁ。ぶらぶらしていてなんとか酒屋を発見し、ビールと缶酎ハイを買って高松で買ったちくわで飲んだわけだが、こっちの方がよっぽど旅っぽい気がする。そうしていると鹿が寄ってくるわけだが。
宮島口から小郡までは、すぐに直通が来たのでそれに乗る。この電車は久しぶりに2時間ちょい、うとうとしながら乗っていた。ついで下関まで乗り、下関で銀行によることにした。目の前にデオデオがあったので、デジカメの電池(CR-V3。オリンパス純正とマクセル、パナソニックの1本、2本パッケージが売られているのは確認済み)の予備が無くなったことから買おうとするが、無かった。近所のダイエーにもなく、ダイエーの裏手にあったベスト電器にやっとこさあったので、それを買う。確かに東京の量販店でもすぐに見つからない品番だけれど、その電池を使うデジカメを売っているわけだから、おいてあっても良さそうなのにねぇ。しかしほんとに地方に行くと「ベスト電器」と「デオデオ」はあるなぁ。車窓から、山間の通り沿いに「ベスト電器」の看板を見かけたことも多かったし。
下関から小倉までは15分程度で着いてしまう。本四の大橋線や青函の海峡線などに乗ったものからすると、恐ろしく短く感じる。ちょっとした山のトンネルの方が長いもの。
また小倉から博多まで各駅停車に乗ってしまったのだが、これが1時間半を越すロングドライブ。途中2回ほど快速に抜かれるし、腹は減るし。なんとか博多に着き本日の旅程は終了。早速ビジホを探し部屋に入る。値段は5,000円と普通のランクで、和室のため狭く感じるが、なんとここはLANによるブロードバンド設備が入っていて、LANカードの貸し出しも行っているというビジホだった。とりあえず、地図を見ながら中州へ食事に出かけるが、時節柄か平日だからか、いうほど屋台は出ておらず、またすごく並んでいるか2人くらいしか居ないかのどちらかなので、躊躇してしまった。また周りも風俗街なので、客引きも多かったことからテンションは下がり気味。そこでは食べずに、途中にあった「グルメシティ」(ダイエー系の食品専門スーパー)でお茶とか乾き物などを買って、宿のそばの飲み屋に入る。
●2002年4月3日
前夜には「明日は、天神と中州あたりを見て、ラーメンでも食べてからいくかな」と思っていたが、朝出がけに「ついでだから長崎も行くか」と路線変更。結局名物らしい名物も食べずに出発。
10時7分発鳥栖行きに乗る。博多から鳥栖まで30分、1時間待って鳥栖から長崎まで3時間ちょい、着いたのが15時前。鳥栖で食べた「かしわうどん」(鶏胸肉あたりを甘辛くにつけてほぐしたものがうどんに乗っている。サガン鳥栖の応援の際はぜひ。ほんとに駅の目の前にスタジアムがある)は旨かったが、このペースだと鳥栖に戻るのが17時、そこから今日中に熊本に着くかも怪しいので、長崎で時刻表をチェック。やっぱし無理なので長崎から鳥栖、鳥栖から熊本へ行く特急のきっぷを買う。
九州は、感覚的に特急と普通列車が半々くらいで、特急を使わないとえらい時間がかかる部分が多い。そのためか「特急のきっぷを2枚/4枚」のセット売り(回数券より回数が少ないようなイメージ)を設定している。これをうまく使えば、特に今回の長崎・鳥栖間はちょうど使えるパターンだったのだが、トータルで旅費は安くすんだはず。こういうところにも「時刻表がない」というのはネックである。あと、最近は特急自由席に乗っているのは改札しないのがトレンドなのかもしれない。車内販売はあるけど。
熊本から阿蘇までは豊肥本線で1時間半強。途中、スイッチバックするところがあって、はじめてだったからびっくり。阿蘇駅に着いたのが20時ちょっとすぎ。見事に何もなく「やばめ」と思いつつ、目の前の「温泉」の文字に惹かれて阿蘇国立公園国民宿舎・阿蘇に寄宿。
国民宿舎とは、また懐かしい響きで中も相当クラシックな感じで、涼子ちゃんなら「汚いんじゃないんです。アンティークって言ってください」という感じの雰囲気。温泉宿らしく「卓球している人」もいるし。値段を聞くと「朝食無しなら4,500円です」とのこと。迷わず泊まることにして、文字通りの宿帳に記帳した。部屋の方は一応トイレとシャワー設備も整った和室で結構広い。でも、こたつがどどーんとあるのにはびっくり。というか無いと寒いし。あとテレビが100円を入れるタイプで「こんなの見たの、20年ぶりだよ」という感じ。早速、荷をほどき風呂に入りに行く。湯温はちょっと高めだったが、ここんところシャワーしか浴びてなかったので、これくらいが気持ちいい。時間も時間だったので、貸し切り状態でゆったりとできた。ビバ温泉。
●2002年4月4日
起床後、すがすがしい気分で朝風呂につかり、8時前の電車に乗る。前の女の子2人のスカートがやけに短くて目のやり場に困りながら(1人は完全に見えていたし)、熊本へ。ここから八代、水俣と乗り継いで、西鹿児島まで普通列車で行くつもりだったが、やっぱり時間がかかりすぎるので特急を使う。
西鹿児島からの指宿枕崎線に乗るのだが、枕崎まで行くのは1日4本程度しかなく、さらに同じ電車が行ったり来たりしている関係で、途中3時間くらい電車がない時間帯があったりする。どう考えても時間がやばかったので「最南端の駅」西大山へは下車できなかった。
15時43分枕崎駅到着。見事に何もない。つーか無人駅。あまりのなにもなさに、写真を撮るのを忘れそうになったくらい。しかし、16時近いというのに、太陽が真上にある感じで、南国というのをイヤと言うほど感じさせる。
売店のおばちゃんとバスとタクシーの事務所があるくらい。とりあえず、薩摩酒造へてくてく歩いていく。駅に地図か何かがあると思ったが何もないので、途中の本屋で買い求める。しかしガイドブックには取り上げられていても「知覧・枕崎」コーナー(それとて3ページしかないが)の1ページでまとめてあったりして、むしろこれなら国土地理院の地図を紀伊国屋かなにかで買っていった方が便利だったかも。
資料館の明治蔵は閉館時間を過ぎており見ることはできなかったが、ビヤガーデンはやっていたので入ることにする。しかし、枕崎の平日のそーゆーお店なので、客は自分しかおらず、また店員のモチベーションもかなり低い。オーダーの通し間違えがあったし(時間無いからそのまま食べたけど)。焼酎はおいしゅうございました、はい。「おいしい飲み方」というのが、「好みの濃度に水を入れ半日~1日なじませる」というのは初めて知りました。ビバ焼酎!!
帰りも電車にしようかとも思ったが、かなり暇なので鹿児島行きのバスに乗る。というか、また改めて同じ時間、海を見ながらぼーっと過ごす自信がなかった。こちらも2時間1,200円と大差ないが、毎時間出ているみたいで、むしろ住民の足はこっちという感じ。
西鹿児島から南宮崎まで最終電車で、南宮崎から小倉まで夜行特急「ドリームにちりん」に乗車。ちゃんと寝る体制にしていればよかったが、適当にやったため、うとうとするとすぐ後ろに新しいお客が入ってきて「オレ夜型だからまだ眠くないんだよね」としゃべったり、またうとうとすると前に居るバカが携帯で「今電車の中うんぬんかんぬん」とずーっとしゃべり通し。トータル3時間も寝られなかった。
●2002年4月5日
5時25分、小倉到着。コンビニで朝食、昼食を買って下関へ。ampmのフローズン弁当だがまともに飯を食っておらず、ずいぶんと久しぶりに暖かいご飯かも。思い起こせば3日はおにぎりを4個とかしわうどん、阿蘇の宿でビール2本とスナック菓子、4日はおにぎりを4個と枕崎でのビヤホール、その前にしても2日の夕食は飲み屋でビールとつまみだったし。まぁ、いいや。
下関から岡山までの列車があったので、それに乗る。6時39分発13時3分着、乗車時間6時間24分で、おそらく普通列車では最長時間ではなかろうかという列車(詳しい方、ご教授ください/追記・飯田線に上諏訪9時7分発~豊橋15時54分着、乗車時間6時間37分という列車があった)。ムーンライトながらだって、23時9分発4時42分着だからなぁ。乗る方も乗る方だけど。
ところで、この車内、異常に寒く感じたのは寝てないからだろうか。そのせいもあって「今日は無理しないで泊まろう」と思ったくらいだし。あと、たまに「タ~ラ タラリィ~」という大塚明夫の声と「オバカ、見ちゃダメ!」という氷上恭子の声が、つながって浮かんだりするのは、長旅の疲れでしょうか。
岡山からはごく普通に、姫路、米原、名古屋と乗り継いでビジホの定宿ドーミーイン名古屋に寄宿。「旅の窓口」経由で予約を入れようと思ったら、Visorもリブもバッテリーが切れかかりまともにつながらなかったので、そのまま電話で予約した。1,500円くらい高くなるんだけどね。
宿の周りでとりあえずの夕食。なんかひさしぶりにラーメンを食べる。そいで、近くの飲み屋へ。結構味はよく、これだけでも名古屋に来た甲斐があったというもの。今回、予定段階では、全国旨いもの食べ歩きツアーっぽく考えていたが、実際には夜のとばりが降りてから繁華街を歩くのは結構客引きがうざいので、テンションが低くなりがち。結局、当たりはずれのないチェーンの居酒屋に入っちゃったりして。むしろホームで食べるうどんの方が、その地方らしくて旨かったりするし。
で、明日東京に戻ります。ところが、明日の分を入れても3日分余ってるんですよねぇ。どーゆー意味かしらん?
●2002年4月6日
名古屋は特に見る場所は近くになく、また時間も10時前だったので、そのまま素直に東京へ行く。名古屋からは、豊橋、熱海、横浜、秋葉原とだいたい5時間くらいの乗車で東京に着いてしまう。秋葉原で知人らと合流し、夕食。22時頃解散。大宮の手前の与野の知人宅に寄宿。
●2002年4月7日
4時半に起床し、始発で大宮まで行き、そこから東北本線の黒磯行きに乗車。黒磯から乗り着いていくつもりだったが、腹具合がおかしい。長距離列車のくせにトイレの設備が無く、泣く泣く新白河で下車。すっきりしてから、仙台まで新幹線に乗る。東北と東海・山陽の違いはあるが、新幹線に乗るのは実に10年ぶり。
仙台では、ちょうどヨドバシカメラが駅前にあるので、乾電池を購入。MP3を聞きながら移動しているのだが、アルカリ電池でもほぼ1日で切れてしまうため、かなり持ってきていたのだが、小倉とここ仙台で買うことになった。秋葉によったんだから安いものを探せばよかった。
仙台からは、また東北本線で、一ノ関、八戸、青森と乗り継ぐそれぞれ30分~小1時間停車時間があったのだが、結局同じ車両で運行しており、6時間以上乗っていた。また、目の前に座っていたお姉ちゃん2人組も同じように仙台-函館と乗っていたのは、ただの旅とは思えないがいかがだろうか。
途中途中、駅前で買ってきたおにぎりを食べながらだったが、やっぱり暖かいものが食べたくなったので、八戸駅前のラーメン屋で食事。サービスでアジフライ、ゴボウサラダなどをつけてくれた。ありがたい。味は、東京風で縮れた細麺がおいしかった。大盛りとライスでももりもりと食べる。
青森から函館は、海峡線で1時間半ほど。時間も時間だったのでカーペット車両でも5~6人しかおらず、全員横になっていた。ビールを飲んだが、あまり食べてないせいかまわってきた。ただ、次の夜行もあるので、ここで寝るわけには行かず。それでもちょっと寝ていたようで。
函館から札幌は、夜行快速ミッドナイト。行ったことない人だと、近く感じるだろうが、まともに電車で行こうとすると、何時間もかかるのが北海道の魅力(魔力ともいうが)。事実、札幌・函館間は、普通列車だと連絡が悪く、朝6時台に出ても着くのは16時過ぎとか。もっとも特急でも3時間くらいかかるらしいが。
指定席だったがなかなか寝られず、いきおい缶酎ハイを飲み出す。隣のおっさんも酒を取り出したのだが、なんとそれはワインの瓶。「へぇ、おしゃれだなぁ」と思っていたら、おもむろに口を付けてラッパ飲みし出した。全然おしゃれじゃないじゃん。ところで、この電車は、函館発新札幌~札幌間のみ指定券を発売しているので、函館を出たところで空席があれば、好きな場所に移動してもよい、という感じに言われた。実際乗った車両も半分も埋まっておらず、ほとんどの人が2人掛けのところに移動して、ゆったりと横になって寝ていた人多し。しかし、年のせいか疲れのせいか、なかなか寝付けない。いろいろとポジションを替えて何とか寝ることにした。
●2002年4月8日
朝6時31分、札幌到着。ここからかなり無理をすれば、稚内まで行って旭川で泊まるところまでいけたのだが、さすがにそれはちょっと、ということで、やめる。時間もかなりあるので、考えなしに小樽へ向かう。小1時間で小樽着。しかしお店はなにもやってないので、運河通りを目指しそのまま埠頭へと出る。海をぼーっと見ながら持ってきたおにぎりを食べる。さすがに寒いので、ぶらぶら歩いて駅に到着、札幌へ戻る。よく考えれば、駅にロッテリアがあったので、そこで1時間くらい粘ればよかったのだが。
札幌へ着いてもまだ10時半前。チェックインは15時からなので、ぶらぶらと歩く。駅のそばにビックカメラとヨドバシカメラがあったので、店内を見回って時間をつぶす。なんとか15時をまわったので、ホテルに到着。誰もいない大浴場を堪能し、少し横になるつもりが、次に起きたのは日付が変わって1時前。さすがに疲れていたのかと苦笑しながら、出歩く気にもなれず1階にあった自販機(といってもミニコンビニ並の品揃え)で、食べ物とお酒をチョイス。ドーミーイン札幌もブロードバンド対応しているらしく、フロントでLANカードを借りてつなごうとするも、Cardbus品だったので、リブには入らなかったため、そのまま寝る。
●2002年4月9日
朝、起床後、大浴場にて汗を流し、前回行けなかった羊ヶ丘を目指すことにした。さっぽろ市営交通の1日乗車券を購入(ちなみにプリペイドカードの名前がウィズユーカードだったのでそっちにしようかとも思ったが)して、東豊線福住駅へ。そばに札幌ドームがあるというので、試合があるわけじゃないが、最近話題だから見に行く。再び駅に戻り、駅の上にあったイトーヨーカドーで酒とつまみを買ってから、バスに乗って羊ヶ丘へ。例のクラーク博士の像を見に行く。バスが羊ヶ丘の入り口につくとおばちゃんが乗ってきて「入園料500円ね。バスは上まで行くからここで払ってね」とある意味合理的なことを行っていった。しかし、現物を見たが、もっと広い場所のてっぺんにあるのかと思ったら、意外とこぢんまりとしているし、教会があるせいかカップル率多し。羊も出ていなかったが、小屋のそばで昼寝をしていた。ソレを見ながら缶チューハイを2つ、少し肌寒くなってきたので、レストハウスに入りソーセージやじゃがバターなどでサッポロクラシックを3つ。
福住から大通り駅まで戻り、そこから平岸駅まで向かう。なぜって?そこが琴梨ちゃんちの最寄り駅だからさ。平岸からは、例のラルズストアーに歩いて10分ほどで到着。また逆のルートで宿に戻り、今度は札幌のメイン、サッポロビール園を目指す。
生ラムジンギスカン食べ放題、ビール飲み放題で「300円追加されますとクラシックやソフトドリンクも飲み放題になりますが、どうされますか?」というので、そっちの方へ。しかし、前に来たときよりジョッキが小さくなってない?それでも、昼に結構飲んでいたので、あまり飲めず。中ジョッキ5杯といったところ。ちなみに、肉は4枚、野菜は最初に来た1枚のみ。というか、焼き方を忘れて普通の焼き肉のようにやっていたら、油ははねるわ煙はでるわ。周りを見てみると、肉や野菜をごっそり鍋に乗せてかき回しながら食べていたようで。まぁ、うまかったからいいや。
●2002年4月10日
ついに最終日。チェックアウト後の予定は全くなく、せいぜい市内の中島公園まで歩いていって帰り際に赤レンガや北大植物園あたりでも見ようかなと思っていたが、荷物が重いため歩き回る気にならず。結局、駅のロッカーに荷物を入れ市内をぶらぶらする。前回も食べたサイカラーメンにて昼食。ここは、ノーマルのラーメンとそれの玉子入り、チャーシュー入り、両方入り、チャーシューメン、味噌ラーメン、それぞれ大中小とメニューは少ないが、半端じゃない量がくる。小は1玉、中は2玉、大は3玉なので、「ラーメン大」は30cmくらいのどんぶりでくる。1人フードファイト状態。しょうゆをベースに白菜とキムチをいためたのが乗っているので、油がしゃれにならないほど熱いし、味付けも辛いかもしれない(個人的には、これくらいのは普通と思うが、隣で食べていたお姉ちゃんは「ちょっと辛いですね」って)。やっぱりこの味は忘れられないっす。
飛行機のチケットの関係で便の変更が出来ず、どうやっても20時まで暇なのだが、駅の待合室で1時間寝た。それでもまだ15時くらい。もうヨドバシもビックカメラも見飽きたので、どっちで待っていても同じと判断してさっさと空港に行くことにした。やっぱり空港でも2時間半くらい待っていたのだが。
新千歳空港からは、1時間半ほどで羽田空港に着く。しかし離陸時はあんなにGがかかったかなぁ。前回はそれほどでも無いと思っていたけど。それでも、夜のフライトはきれいでパーソナルビュー(席にあるモニター)では、フライト中の地形を見られるので、文字通り「ミッドナイトランディング」状態でずーっと見ていた。
さて、羽田について京急線で品川まで、品川から東京、東京から豊田、豊田から大月行き(東京発大月行きだったが、眠かったので先の電車に乗った)と乗り継いで、相模湖についたのが1時すぎ。歩いて帰って2時前には家につきました。
●旅のオワリに
バカみたいな欲望のために、12日間も家を空け心配させたのはあれだったが、例によって後半は移動するだけになってしまった。まぁ、それも前半で寄り道しまくった結果なので、トータルではそんな変わらないと思う。今回は、何回も出てきているように「予想はするが予定は立てない」「ゆえに時刻表も持たない」旅だっただので、かなり無茶、無駄な部分が出てきた。しかし、予定を立ててしまうと、方法の違いはある物の「ただのツアーと同じ」なわけで、予定にそって行動することになってしまう。それは避けたかった、というのが本音である。
正直、前回の旅から3年半も間があいてしまったのは「仕事をしていると、そうそう休みも取れない」状況になるからで、「メールの仕事だからもっとフリーになると思っていた」のだが、そうも言ってられなかった。実際、この期間で一番遠くへ行ったのは「幕張メッセへの取材とその宿泊」だと思うし、ついで遠いのは「実家に戻る」くらいだった。
ただ「枕崎まで行く」というのが結構「かせ」になっていたのは事実で、「北海道へ一緒に行きましょうよ」などと誘われることもあったが、「オレにはソレよりも先に枕崎へ行かなきゃならんし」と断っていた。正直なところ「やっとフリーになれた」というのはある。
枕崎に着いたときには「もう絶対こない」と思っていたし、最後の方も「電車はもういいや」と思っていたが、終わってみると気楽な物で「また行きたくなってくる」のは不思議。しばらく予定もないので、へたすると夏にまたどこかへ行っているかもしれない。
今回の反省点としては「時刻表は持っていきましょう」というのと「機械が多すぎて、ホテルに泊まらざるを得なかった」ことがあげられる。リブレットはまだしも、Visorにスプリングモジュールを挿したままだとすぐにバッテリーがなくなるのには閉口した(後半はモジュールを抜いたまま使用していた)。携帯なら乾電池から充電するモジュールがコンビニですら売られているのに、PHSに対応したものは無いため、これも難儀した(特に使っている端末が1週間持たない方なので)。今後は、Visorはメール端末としての利用にとどめ、冗談抜きにauのGPS携帯を買うかも、という感じで行きたいと思う。あと初日にCDやソフトを買うのはジャマなのでやめましょう。