たとえば、古い物を引っ張り出しての埋めくさという今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
旅に出るきっかけを作ってくれたゲーム版の『お嬢様特急』が世に出てから、15周年となる今年。せっかくなので、その当時の旅雑記を再掲載したいと思う。当時は、ブログ形式ではなく、単独の記事だったがまとめたのと、フィルムカメラだったのでカット数自体が少ないのと、事務所でこそっとフィルムスキャナを使ったのもいい思い出。
●1998年9月下旬
あの旅が終わってから、時刻表とにらめっこをして、旅のプランを練るのが面白く感じる。ひょんなことから、利用期間は2週間強と短いものの、青春18きっぷと同じような切符…「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」が発売されることを知り、さらに旅のプランニングに拍車がかかる。
ただ、このきっぷは、「利用期間が10月4日から20日まで」「利用回数は3回」と少なくなっている。それ以外は、18きっぷと同じように使えるので、とりあえずは「お兄様鈍行」の続きでもやってみるつもりだった。
それから、図書館に行って、行き先地方の電話帳で「ビジネスホテル」のあたりをつけたり、付近の競走場の開催日程を調べたりするが、どうも3日間というのは中途半端な期間である。
例の続きをするなら、東京~高崎~松本~糸魚川~金沢~岐阜~名古屋あたりが精一杯で、しかも賭事以外では観光ができないのもネックだ。
ここは、発想を換えて違うところに行ってみることにしよう。「どうせなら、高松だ」ということで、行き先は高松に決定する。
●1998年10月上旬
行き先が決まれば、宿の手配や競走日程を調べて、またゲームショウとの兼ね合いで、出発が14日から16日あたり、帰宅が17日から19日あたりの3泊4日のプランになった。
今回は、前回と違い電話帳やホテルガイドなどで、事前に宿をある程度調べておいた。だが、実際に一番役にたったのは、NTTハローダイヤルのホームページでの検索サービスだった。このサービスは、全国地域(ただし、北陸・中部はまだデータが無い)から、電話帳と同じく「ビジネスホテル」や「旅館・ホテル」などのキーワードで検索できる。ここまではNTTイエローページの検索サービスと同じだが、ここから凄いのは各検索結果からホテル名をクリックすると、そこの地図、外観写真、サービス内容などが表示されるようになっている(全部のデータに用意されているわけではないが、「旅館・ホテル」ならある程度あった)。これで、「シングル5,000円以下」でピックアップするわけだ。
●1998年10月15日
なんやかやで出発が遅れたが、この日に旅の用意をし、明日から出ることにする。ただ、気になるのが「台風10号の接近」で、また台風に悩まされるのか、と多少気になる。
せっかくなので、テンションを高める意味でも、半年ぶりくらいにセンチをプレイ。ねらっていたとはいえ、真奈美ちゃんでクリア。おお、凄いぜ、おれ。って感じで、明日は早いので、寝ます。
●1998年10月16日
スケジュールを立てて、宿もあらかたチェックして、結構カンペキ?などと思っていたが、いきなり雨で自宅から駅に行くまでバスに乗るはめになる。すでにこれだけで20分違うので、最初からつまづくことになる。
というか、朝起きた段階で雨が降っているし、台風がくるのは判っていたので、どうやっても雨は避けられない。ならば、北へ行くべきか?と悩んだ。悩んだけれど、これもまた運命と割り切って、当初の予定通り高松へ行くことにした。
「スケジュールたてても、結局こーなるのねー」と思いながらも、東海道線は本数多いので、北に行くより楽である。とはいえ、東京から直通で米原まで行く各駅停車はないので、ぼちぼち動いていくことにする。
朝も食べずに、8時15分発熱海行きに乗り込み、新聞を読んだり、熱海から岡山までのスケジュールを決めたりで時間をつぶすが「ヒマなの、退屈なの、つまんないの」ということで、寝ます。
熱海。かつての新婚旅行のメッカも、群発地震がおきてここ数年は客足もがくんと減ったとか。だが、駅前は温泉地らしく温泉饅頭などをふかしていたりする。ちなみに、ここから伊東線に乗って、伊東温泉へ行くこともでき、かつそこには競輪場があるので、「お嬢様特急」フリークで旅打ちする人は、いいだろう。東京から伊東線へ乗り入れている快速もあるし。
その熱海駅に降り立ち、次の浜松行きまで時間があるので、ここで朝食兼買い出し。目の前のビルにマックがあるので、朝マック。さらに、その下の方にファミリーマートがあるので、飲み物を買う。前回の教訓で「麦茶かウーロン茶を2リットルペットボトルで買えば、大概の用は済む」ということで、ウーロン茶のペットボトルを購入。
熱海から浜松までは2時間半程度。音楽でも聴きながら、やっぱり寝ます。
浜松。熱海から2時間半乗っても、まだ静岡県。市内にはオートレース場が、うなぎで有名な浜名湖には競艇場がありんす。
今回の旅では前回できなかった「駅弁を食べる」なんてのも一応目標に入ってまして「ここにきたら、うなぎだろう」ということで、場内を見歩きますが、高い。さすがに1食1,000円は出せないっす、ということで、改札を出て街に行くことにする。
目の前に小汚い食堂があって、一応うなぎもやっているが、これでも870円。清水から飛び降りた気分で頼むが、いっこうに出てこない。どうやら違うところで用意しているみたいで、きたものは「一応うなぎ」というレベル。これなら、コンビニのうなぎ弁当の方がまだうまいぞ、ということだけ言っておきましょう。
なんだか、フラストレーションのあるなか、電車が来るので、さっさと乗り込む。ここから米原まで、3時間弱。おそらくここでも寝てたんじゃないでしょうか。あまり記憶がないっす。
米原。滋賀県にある、そこは一応新幹線も止まる駅。駅前を工事していることもあるが、なんかうら寂しい場所。小腹がすいたので、立ち食いうどんで一杯、キオスクでちくわを買う。あとあと、これが重要になってくるとは、人間なにがどうなるかわからない。ここから、次の乗り換え駅は姫路になるので、京都・大阪・三宮という面白い場所は通り抜けるだけ、しかもサラリーマンの帰宅時間帯だし。
姫路。別名白鷺城とも言われるほどきれいな姫路城があるが、それくらいしかインスパイアされないけれど、姫路には競馬場がある。兵庫にはこのほか、尼崎に園田競馬場と尼崎競艇場があるし、阪神競馬場なんてのは大阪ではなく宝塚市だ。乗り換え時間も少ないので、さっさと行こう。
岡山。姫路から1時間半くらいだが、ベンチシートなのであまり寝ることもできなかった。さて、京都あたりからぼつぼつと降り出した雨は、こっちにくるごとに雨足を強めているような気もする。今朝方修正したが、練ったスケジュールだと今夜はここで泊まることになるが、まだ少々早い気がするし、なにより高松行きはまだある。
どうするか。早くしないと高松行きは出てしまうので、早速高松のホテルへ連絡。今日は空いている、ということで、そのまま予約し10時過ぎに着くことを告げる。これで今夜はOK。こういった時の決断は1人でいる分、楽だ。
岡山から高松へ行く快速電車は帰宅を急ぐ人で結構並んでいる。たかだか1時間なので、立つつもりで、列には並ばず、キオスクでお腹に貯まるものを探すが、この時間では無い。そういった時には、カロリーを補給するべく、ミルクティー、しかも乳脂肪分の多いロイヤルをチョイスする。冬場はこれのホットを飲むだけでずいぶん胃が楽になるものだ。
高松。瀬戸大橋を抜けて20分もすれば駅に着く。改札を抜けて構内にある、ビッグコンビニで食料を探すが、さすがに10時半、まともなものはない。
ここから予約したホテルまでは、地図を見ながら歩いて行くが、高松はすでに小雨ではなく土砂降りではないにしろ「降っている」というレベル。そこへ地図を頼りに歩いていくのだから、結構かかる。20分ほど歩いて、本日の宿、ビジネスホテル高松へ到着。
部屋に入ってテレビを見るでもなく、シャワーを浴びて横になろうとするが、腹が減った。今日になって食べたものは、熱海のマックと浜松のうなぎ(一応)、米原のうどんだけだ。手持ちの食料は米原で買ったちくわくらい。けれど、しょうがないので、そのちくわとウーロン茶を飲んで飢えをしのいで寝る。
●1998年10月17日
朝9時起床、天気予報を見るまでもなく雨。ただ、雨足は昨夜より弱まった感じ。テレビをつけると、それでも「夕方にも九州に上陸し、それから北上するでしょう」というようなことを言っている。いくら「風を集めて~」と歌っているからといって、集めすぎである。
バカなことを言ってないで、市内を観光する。とはいえ、まだ10時前なので、店らしい店もやってない。
ホテルのそばに、かの有名な「ライオン通り」があり、早速記念撮影。おそらく日本中で一番多く写真が撮られたアーケード街であろう。
そのまま南へ2キロ弱歩くと、栗林公園である。「くりばやし~」ではなく「りつりん~」である。と、そのまえに、コンビニがあるので、朝食も含めて食べ物を買い、食べる。ついでに、香川のガイドブックも買うが「マップル版」を買ってしまい、地図の大きさに不便を感じたので、そのまま近くの本屋で「るるぶ版」を買い直す。「マップル」が悪いわけではないのだが、あくまでこちらは「車で移動」が中心で、徒歩旅行には向かないのだ。ちなみに、どちらも大きめの書店であれば、全国のものが入手できるので、事前に購入するにはうってつけだ。
栗林公園に到着。とはいえ、今日のこんな天気に見るものではなく、さすがに来ているのは少ない。なにより、入場料を取られるので「撮影できないのであれば、今日はいいか」というので、入り口の門や石柱などだけを撮って、後にする。
ここから東へちょっと歩くと、コトデンこと琴平電鉄の駅があるので、それに乗って高松駅近くまで行く。「駅近く」というとあれだが、今回の旅の目的でもある「高松競輪・丸亀競艇の旅打ち」のどちらかを今日やるつもりなのだ。
高松競輪場は、高松駅からも歩いていける範囲で、だいたい20分くらいだろうか。丸亀競艇は予讃線で丸亀駅まで出て、そこから無料バスが一番楽だろう。ただ、どちらも、今日の天気でやっているかどうか不安にはなっている。ここで便利なのが、払い戻しの案内。11時にもなれば、1レースくらいはやっているので、これで払い戻し情報があれば、今日の開催はある、ということだ。
あまり歩く気分でもないし、これから丸亀へ行くと12時くらいにつき、その時間だとすでに無料バスが出てない場合もあるので、今日は高松競輪へ行くことにした。
コトデンの片原駅から歩いて10分もすれば競輪場が見えてくるが、うら側から来てしまったため、ぐるーっと回って西門から入る。実は、競輪にしろ競艇にしろ、今回の旅でやるのが初めてなのだ。なので、勝手がわからないが、手荷物を預けよう。公営競走場には多かれ少なかれ「手荷物預かり」という場所があるので、貴重品以外はそこに預けてしまうのが賢明だ。特にリュックや旅行バッグなどをもって一日うろちょろするのは疲れてしまう。
着いたときに1レースが始まっていたので、荷物を預けて、そばの飯屋に入る。さぁ、高松に着いたらうどんだ。場内のこーいった店で出てくるうどんですら、うまいのには感心する。
レースの方だが、さっぱり。3レースから始めて、4レースは当たったが、それ以降かすりもせず、8レースまでやってレッドゾーンまできたので、ドクターストップ。ただ、昼にも2杯目を食べたが、うどんはうまかった。
雨に打たれながら、しょぼしょぼと駅を目指して歩く。事前に調べた限りで一番安かった和風ホテルを目指すが、どうも地図と違うような気がする。それもそのはず、高松駅は工事のため仮駅で営業しているため、地図と起点が違うのだから。とはいえ、逆に歩き回ることで、さらに安い旅館を発見したので、これ幸いとそこにお世話になることにした。1泊2,800円は、カプセルなどよりも安いし、後から気をつけてみると、高松駅周辺にはそのレベルの旅館がいくつかあることに気づく。詳しい理由はわからないが、かつて瀬戸大橋ができる前の四国の入り口として栄えていた頃の名残だろうか。
とりあえず、通された部屋は6畳に布団、テレビ、テーブルと文句はない。風呂はフリーでないにしろ、あるだけ十分。荷物を下ろし、濡れては困るものを出して乾かし、翌日からのスケジュールを決めていると、ルームホンが鳴り、風呂の用意ができたというので、入る。
風呂から上がってニュースを見ていると、どうも今夜半が台風が一番近づくようだ。なので、早速夕食を食べに出かけることにした。
前日、あたりをつけていたように、丸亀町通りを南へ歩くがどうもぱっとした店がない。というか、この通りは食べる店がほとんど無い。大通りまで来てしまって、はたと見上げると「養老乃滝」の看板が見える。とりあえず、あそこなら高くないだろう、というので入ったら、閑古鳥が鳴いている(しらけ鳥でも可)。いくら台風が来ているとはいえ、土曜日の夜7時に客がいないというのはどうかと思うが、ついてビールと串焼きなどを頼むが、どうもしっくりこない。
味がいつもと同じなのだ。せっかく高松まで来ていて、これはないだろう?というので、2杯目のジョッキを空けたところで、席を立った。
ここからライオン通りを北の方へ向かって歩くが、どんぴしゃり。こちらの方が、食べ物屋・飲み屋は多い。どこの店に決めあぐねていると、酒屋を発見。店先に「見切り品」のワゴンが出ていたが、ちょうどいい頃合いの焼酎のボトルが310円なので、迷わず買う。すでに、バッグの中に焼酎とウイスキーのポケットボトルがあるというのに、何をやってるんでしょうか。という問いは、すでに酔っているので、考えてないのだろう。
ライオン通りを都合1往復してから、2・3、目を付けていた中から、雰囲気のいい「ぽんた」という店に入る。中は狭いながらもいい感じだ。
まずはビールと焼き鳥を頼む。ついで、店の腕を知るには「揚げだし豆腐」(まず、豆腐の処理や揚げで腕前が、だしつゆやそれぞれのバランスで味がわかると思うので、よく頼む)なので、それを頼む。が、これまた、どんぴしゃり。この店はオレ好み、オレ絶賛、ということで、調子こいていろいろと頼み、酒も進む。その後、ウーロンハイ、焼酎お湯割り2杯と行ったところで、お勘定。それでも3,000円少々とお値段もリーズナブル。次に行ったときもひいきにしようと思う。惜しむらくは日曜はやってないことだろうか。
あまり記憶がふらつく中、駅のコンビニでパンをいくつかかったのは覚えている。あと、ポカリスエットね。いや、ほんとに細かいところで覚えて無くて、気がついたら、朝4時くらいに、トイレで起きたことかな。水分を取って、また寝たけれど。
●1998年10月18日
朝、起きると、快晴。台風は通り過ぎたみたい。今日の予定は、玉藻公園を見てから丸亀競艇くらいしか決まってない。
早速玉藻公園へ行くが、あまり広いものではないし、目新しいものもないし。たしかに栗林公園なら見て回れるだろうが、ここはお城の跡だからなぁ。30分もすれば全部見回れるし。
と、いうことで、後にして高松駅へ。ここから予讃線で40分くらいで丸亀に着く。そこから無料バスで10分くらいで丸亀競艇場だ。で、この無料バス、他の競走場だと、路線バスなどを貸し切りで運行してたりするのだが、ここではなんと、観光バス。当然、立ってまで入れることはなく、イスなんかもリクライニングさせちゃったりして。
ついたら、2レースが発走していて、ボートがびゅんびゅん走ってる。まぁ、競輪と同じく初めてなものだから物珍しいが、しばらくすればあたらなさに嫌気がさしてくるだろう。
腹が減っては何とやら、で場内のうどん屋でぶっかけを頼む。讃岐のうどんには、「かけ」「もり」「ぶっかけ」というメニューがあって、「かけ」や「もり」は全国的に同じものだが、「ぶっかけ」とは、どんぶりに麺をいれて、食べる方がだし醤油をかけて食べるものである(そんなに塩辛くなかったので、生醤油ではないと思うが)。北関東にある「釜揚げ」が雰囲気として近いだろうか。町中のうどん屋、特にセルフタイプだと、最初に「かけの大、あつあつ」などといって、麺をもらい、それに好みの具や無料のネギ・ショウガを乗せて、最後に精算、という店がある。この「あつあつ」は、「麺を温かく、汁を温かく」の略で、「あつひや」や「ひやひや」などがあるという。いずれにしても、町中で食べる分には天ぷら乗せても500円で腹一杯、という店がそこここにある。ちなみに、四国・九州では、揚げたものを「天ぷら」といい、魚のすり身の「薩摩揚げ」も「天ぷら」と呼ばれてしまう。また、「おでん」といえば串に刺した田楽を言うことが多く、関東で言う「おでん」を「関東煮(関東炊)」ということもあるが、見ればわかるよね。
さて、レースの方だが、こちらも新聞のマークを中心に買ってみたりするが、全然あたらん。いい加減、危険領域になってきたので、こちらもドクターストップ。しかし、スタートから順位がかわらないので、どちらかというと、競輪の方が「もしや!」ということがあるので、個人的には好きだな。
ここでも、朝飯以外に、昼、おやつでうどん三昧。うどんとご飯で430円、などというのは、他の場内じゃ考えられないっすね。それに、まずくないし(さすがに、ここの270円うどんは、うまいってほどでもなかったけど)。後楽園じゃ焼きそばだけでこれくらいだもの。
高松に着いたものの、まだ5時にもなってない。ヒマなので酒でも飲んでしまおうか、とも思ったが、一応風呂もまだなもので、さすがにそれは止める…。
風呂から上がってきて、さて明日帰るとすると、どこぞで1泊になるなぁ、名古屋あたりでまた食べ歩きでもしようかなぁ、と思って時刻表からプロットしてみると、大垣に22時あたりにつくことがわかる。ここから、大垣夜行で東京に入れば、かなり金額が浮く。ついでに「お兄様鈍行」の続きができるじゃないの、ということで、ここでプランが1日延びた。1人旅はこーゆーことができるから、いいわ。
すぐさま、高松駅のみどりの窓口で指定席券を購入し、その足でライオン通りで夕食。昨日あたりをつけた、もう一軒の方へ行く。
こちらは、魚中心の和料理といったところで、「とりあえず、ビール。ああ、瓶でいいや」というところに、親父臭さ満開である。
焼鳥やホタテバター、例によって揚げだし豆腐を頼むが、どうも味にピントがあってないような気がする。ビールもちょうどいいころなので、最後に「カツオのお造り」をいただいて、お勘定。3,700円とちょっと高い気もしたが、まぁ、いいだろう。
さて、まだ足りない感じもするし、かといって、今から中華や串焼きは重いかなぁ、というところへ、気になっていた「骨付鳥」と看板が出ているお店へ入ることにした。
こぎれい、というか中は最近できた感じで、カウンターに座りとりあえず、レモンハイを頼み、看板にもある骨着鳥を頼む。しばらくかかるというので、他のものを頼むが、メニューが少ない。食べ物10種、飲み物10種、といったくらいではないだろうか。まぁ、2軒目だし、最悪もう1軒いけばいいし、などと考えながら、やっと出てきた鳥を食べるが、まぁモモ肉を焼いたものですよ。でも、肉汁がジューシーで鶏肉好きの私から見ても満足な出来。いい感じのままお勘定。
宿に戻ってから、日本シリーズの佳境を見ながら、持ってきた焼酎で乾杯。ポケットボトルとはいえ飲みきったので、ウイスキーに手を出す。これがまずかった。1杯目の半分くらいしか記憶が無いのだ。でだ、朝起きてみると、どうみても、2杯は飲んだくらい減っている。それに、荷物がちゃんとリュックにしまってあるし、つまみの柿ピーの口をちゃんとゴムで縛っていたりしてる。全然、覚えてないのに!!
●1998年10月19日
朝、起きると、二日酔い。予定なら、女木島と屋島に行ってから、昼頃高松を出発する予定だったが、それもままならない。ぎりぎりまで寝て、なんとか起きて女木島行きフェリーに乗り込む。
女木島。鬼ヶ島のモデルとなった島で、現在では港の近くに「鬼の館」なるテーマパークというか、資料館と土産物屋がある。さらにその横にはモアイ像(何年か前にイースター島のモアイ像を建立させるための重機テストのダミーだそうだ)、その先にはいわれのある神社や砂浜が広がっている。時間があれば山の上まである鬼の洞窟などにいくのだろうが、なんせ今の季節、11時10分の高松行きを逃すと2時間後になるため、それは避けたい。
道を歩いていく。母方の実家やおばの家が海のそばだったせいもあるが、どこかしら懐かしい感じがする。休み時間だろうか、小学校から子供の声がする道を通っていくと郵便局があった。友人などへの手紙をここのポストに投函して、砂浜の方へ戻る。
砂浜を見ると、どうも「NOeL」と書いて波にさらわせたくなるのは、性だろうか。そうこうしているうちに船が着く時間になったので、また時間があったときに訪れると約束して、船に乗った。
高松を発つときは、さすがにおセンチな気分になるが、こればっかりはしょうがない。しかし、安い宿、食事はうどん、とやっていたにも関わらず、財布の中には2,000円くらいしかない。相変わらず、本州上陸するときには2,000円しかないのには苦笑。
高松で駅弁を買って、実にこれが初めての駅弁であることに気づく。高松から岡山へは、1時間もすれば着いてしまうが、ここからが難所。ここから津山線で津山駅まで行って記念撮影がまっているのだ。まず、間違いなく単線ローカルの津山線で往復2時間半。ただ、写真を1カット撮るだけで2時間半だ。「一つの電車の絵を撮るために1日待ったこともありますよ」という「世界の車窓から」のスタッフのすごさに改めて脱帽だ。
冗談はともかく、こんな田舎(失礼!)でも途中から乗ってきた女子高生どもはルーズソックス。だけならいいが、車内で化粧したり、眉毛を剃ったりしてる。するのはかまわないが、もっと静かにしてくれ、と思いながら、寝られないまま岡山に着いた。
所持金もないので、ここでちょっと出て銀行でおろすことにした。泊まらないとはいえ、夜行電車に乗るのだから、2食分くらいはキープしておきたいし。
岡山から姫路、姫路から加古川、加古川でもう一度記念撮影タイム。とはいえ、撮影して、即撤収、姫路行きに乗り新快速米原行きに座っていくことにする。
姫路から米原は、新快速といい、神戸や大阪、京都などを30分ずつくらいで結んでいる電車。なぜ戻るかというと、この時間はサラリーマンの帰宅ラッシュ帯にぶつかるので、不確定な要素はなるべく除くためだ。
米原から大垣へ乗り継いで、10時ちょっと過ぎ。ここから夜行電車なので、食事を買いに出る。しかし、間違って反対側に出たため、20分歩いてもらしい店の一つもない。やばいというので、電話帳でチェック。案の定、反対側の口に何軒かある。急いで、そっちに向かって、弁当2食と新聞などを購入。駅に戻って、ホームで弁当を1つ食べ、電車を待つ。
「ムーンライトながら」というのは、東京~大垣間の夜行快速電車で熱海~大垣間が全車指定席、東京~熱海が一部車両自由席なので、乗る場合はほとんどの車両・区間で指定席券を買っておかなければならない。もっとも、乗る人は端から端まで乗る場合が多いので、結局買わなければいけないのだが…。それでも、同区間で510円なので、泊まることを考えたら安いものだ。ただ、夜行電車とはいっても「深夜だから」といって、電灯が消えるわけでもないし、横になれるものでもないので、普段から電車で寝られる人でないと、ちょっと厳しいかもしれない。筆者の場合、慣れもあるが念のためタオルを目のあたりに巻いて、光量をある程度落として寝た。これだけでもずいぶん違うものだ。
●1998年10月20日
朝4時42分、東京着。すぐに山手線で上野駅へ移動。そこから高崎線で高崎着、記念撮影後、八高線で高麗川、八王子と乗り継ぐ。ここから高尾までは中央線で、高尾で昼食を撮り、松本を目指す。相変わらず「お嬢様特急」を後追いする旅はストイックなものだ。特に中央線の八王子~相模湖なんてのはホームグラウンドなだけに、「ああ、ここで降りて終わりにしたら楽だろうなぁ」なんてヌルい考えも出てくる。
まぁ、そんな誘惑にうち勝って、小淵沢まで来た。風が強く、薄ら寒い。ホットのミルクティーを買って、早速車内に乗り込む。
実を言うと、電車でこっちの方までくるのは今回が初めてではない。長野冬季オリンピックのあったころに、松本のいくつか手前の駅まで来たことがある。ただ、自分の意志ではなかったが。というのも、覚えてないのだ。
その日は、高校時分の友人らと飲んでいた。カラオケボックスに行って、リンゴサワーなどを飲んでいたが、注文の仕方が尋常でなかった。一度に10杯などと頼むのである。6人しかいないのに!! しかも、飲んでいるのが自分を含めて3人くらいなので当然しこたま飲む。そこから記憶が無く、次に目が覚めたときには電車の中だった。ただ、おかしなことに、その時間に動いているはずが無く、かつ検札がきた記憶もない。きてれば、当然起こされてるはずだし…。それにずいぶん停まっている感じがする。まぁ、動けないから寝るか。ということで、いい加減帰ろうと乗り換えたのが、ここのあたりの下諏訪という駅だ。ただ、それだけ飲んでいただけに、自分の周りは吐瀉物だらけで、とにかく風呂に入りたかった。
ということがあっただけに、今回の旅で一番胸にこみ上げてくるものがあったのは、この下諏訪の駅ということになる。でも、頭の中には、「あの8ヶ月前の雪辱を果たすべく、再びここを通過することを目標にやってきました。リベンジなるでしょうか」とかなんとかが、K-1の実況中継のように流れてました。
松本。南から来たせいか、それとも天気がそうなのかやや肌寒い。観光するほど時間もなく、銀河鉄道999風に言うならば「松本~、松本~、停車時間は地球時間で1時間10分です」というところだろうか。
飯を買うつもりだったが、持ってきた本も全部読んでしまったので、ここで買うことにする。本屋を探していると目の前に中古ゲームショップが見えた。旅先の中古ゲームショップと古本屋は入ってみて損はないので見てみると、幻の「パチ夫くんFX」があるではないか。しかも2つ! 金はある程度あるので、5~6,000円なら買えないこともないので、見てみると1,780円。消費税を入れても2,000円でお釣りがくる! 当然買ったのは言うまでもないだろう。
このあと、順当に本屋で電撃G’s文庫の「ルームメイト2」と「同3」を買って、食事を買って電車に乗り込んだ。
松本からは立川直通のものに乗ったので、これで乗り換えなしで相模湖まで行ける。なんと丸々4時間乗っていたことになる。終点まで行けばプラス30分だ。さすがにそこまでの元気はなく、家について、ばたんキュー。いろいろと面白いことのあった旅でした。