たとえば、ラジェンダのPocketNESで「ドラクエ」が動いて喜び勇んで「ほりえゆい えにつくすどら ごくえすと だよ*」…あれぇ? 1文字足らないじゃん! と焦っちゃう今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
電波新聞社のマイコンBASICマガジン、通称べーマガが来月発売の5月号をもって休刊することとなった。毎年こんなコトを書いているようだが、感慨深いのでしばしおつきあいを。
たぶん最初に意識しだしたのは、1985~86年あたりで、かの「オールアバウトオブナムコ」を見たのがきっかけ。ボリュームがすごかったのと、GMのスコア、ドットパターンまで載っていて「すげー」と思ったものだ。1987年にその続編が出て、「源平討魔伝」「ザ・リターン・オブ・イシター」あたりがのっていて、なけなしの小遣いで買ったものだ。だいたい同時期に「ビデオゲームミュージックプログラム全集」がvol.1から3まで(確かvol.1は、ナムコオンリーで、題号も違ったと思ったが)出て、その後も「FM音源ライブラリー」のvol.1~2あたりは、買ったと思う(実際には、このvol.2は、ほとんどX68kやx1 turboなどのOPM中心で、当時98の26Kボードでは使えなかったのだが)。
1988年になると、親友が引っ越してからほとんど遊びに行かなくなり、と同時にパソコンにのめり込んでいくことになった。夏頃、同社の「月刊マイコン」とともに「マイコンBASICマガジン」を買うようになった。結局、判型が変わるあたり(90年4月頃?)までは両誌とも買い続けていた。
あまり買っていた時期は長くはないが、当時のゲームミュージック(ほとんどアーケードだけれど)をPCの音源で再生するプログラム(そう、当時は、データの受け渡し手段が手渡しくらいしかなく、またMIDIは普及はしてなかったので、「音を再生するプログラム」を手で入力していた)がちょっとはやっていた時期で、ベーマガを見ては入力し、またある程度の機種別BASICのクセがわかると他機種のを移植したり、楽譜が読めたので結構自分で作ったりもしていた(そのころは、もうYK-IIこと古代祐三氏は書いていなかったけど)。音楽もの以外でも、人のプログラムからテクニックを勉強していったという意味では、自分にとっては本当に「学校」だった。
それ以外にも、GMのスコアが頻繁に載っていてそれを集めたりしたし、ゲーム情報もそれなりに載っていたし、何よりゲームミュージックの新譜情報源として利用させてもらっていた(確か1999年くらいでPC以外のゲーム情報は無くなったと思ったが)。また、「マイコン」誌の方では、投稿を1年ちょいやって、初めて原稿料をもらったり、以前TLSの回で書いたけれど、松田さんの4コマで笑ったり。思い出深いパソコン誌たちではある。たぶん、「テクノポリス」に次ぐポジションだよね。オレの人生の師匠ランキングで言うと。
ただ、「プログラムを作る」という行為自体がすでに限られた人のスキルになっているし、今更印刷された物から入力するなんてこともしなくなっちゃってるので、webサイトにもあるように「使命は終わった」のだと思う。なんとなくだらだら続けるとか、いっそ「ベーマガ」と改題してPC情報誌になっちゃうよりは、いさぎよいと思う。というか、編集部ってかなり少ない人数のはずで、単純に「儲かってないから」という理由が大きい気はする。