【復刻】それいけ!どとーのほっかいどー~お兄様鈍行

 たとえば、古い物を引っ張り出しての埋めくさという今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
 旅に出るきっかけを作ってくれたゲーム版の『お嬢様特急』が世に出てから、15周年となる今年。せっかくなので、その当時の旅雑記を再掲載したいと思う。当時は、ブログ形式ではなく、単独の記事だったがまとめたのと、フィルムカメラだったので後半はもう撮ってなかったのと、事務所でこそっとフィルムスキャナを使ったのもいい思い出。


●1998年7月30日
 待ちに待った「お嬢様特急」の発売日。以後、友人Hくんとともに、猿のようにやる。
●1998年8月上旬
 10日もプレイしていくと、「旅にでたくなる」衝動にかられる。Hくんも同じ気持ちだったようだ。偶然、記事で「青春18きっぷ」のことを目にする。その人とは話す機会があるので、「18きっぷ」について、詳細を聞いた。以下にまとめると、
・1枚の券で5回(1人で5日でも、5人で1日でも、とにかく5回)使えること
・午前0時から同日23時59分までの間、普通列車に乗車できること
 (乗車中、日付が変わった場合は、日付が変わって最初の停車駅で下車。なお、東京や大阪などの都市近郊区間は終電まで有効)
などである。ちなみに、夏期は7月10日から9月10日まで有効だ(発売は8月31日まで)。
 幸い、8月末あたりから仕事もなくなるし、北の方で行ったことあるのは山形県が最北だったため、ちょうどいい機会とばかりに、「稚内へ行く旅」をすることにした。
●1998年8月25日
 最後の給料もでて、JRへ18きっぷを買いに行く。この時点で旅のプランは「稚内に行く」ことと、「ばんえい競馬を見に行く」ことだけしか決まっていない。「なんとかなるだろう」的楽観視が信条だ。「いつものことです」という、愛ちゃんのセリフが聞こえてくるようだ。だが、しかし…。
●1998年8月27日~31日
 報道などでご存じのように、関東地方北部から東北地方にかけて台風4号による大きな被害があった。被災者の方には心よりお見舞い申し上げます。
 これでJR線の一部が不通になり、楽観視ばかりではやばい、ということになった。しょうがないので、行きのみ飛行機にすることにした。でも、帰りはなんの手だてもなく、なんとかなるだろう。東京・神田の金券ショップで「羽田~千歳」の航空券を購入する。
●1998年9月3日
 いよいよ出発だ。とはいえ、羽田空港に朝9時につく自信はないので、前夜から泊まりがけになる。というと聞こえはいいのだが、何のことはない前の会社に泊まるだけなのだ。「ヒマだから」というので、一緒にリストラされたN氏も同泊するという。
 N氏と新宿で待ち合わせて、カメラ店めぐり。そのまま酒類を買って会社に行く。夜8時前に会社に着き、10時あたりから飲み始める(ちなみに、まだ仕事している人はいる)。缶チューハイが安かったのでかなり買ってきて、少なくとも6本は飲んでいる。寝たのはおそらく午前2時くらいだったと思う。
●1998年9月4日
 朝7時起床。頭が重い。「安いチューハイはダメだ」とボヤいてみても後の祭り。8時に会社を出て、秋葉原から山手線で浜松町、乗り換えてモノレールで羽田空港へ。
 「こんなに人がいるときの山手線はひさしぶり」と感心しきりだが、心配なのは「吐かないか、どうか」だけである。
 狙い通り、9時前には羽田空港に着いた。実をいうと、飛行機に乗るのは今回が初めてである。程度がわからないが、聞けばなんとかなるだろう。そのためのインフォメーションだ。
 9時45分までに搭乗手続きを済ませて、ゲートをくぐればいいので、コンコースで冷たいものを飲み、トイレに行く。が、まだ、頭は重い。
 9時半になり、そろそろ動く。
 実際に離陸したのが10時15分で、千歳についたのが11時半。実に時刻通りで、これからの旅に問題がでないような、スムーズな始まり方であった。
https://www.ainyan.com/game/tabi/199809/img/9809_01.jpg 賢明な読者なら気づくと思うが、「お嬢様特急」にでてくるキャラクターの名字はすべて実在の路線からとられている(エレナを除く)。メインヒロイン的な扱いの千歳さとみは、この新千歳空港と札幌を結ぶ千歳線が出典だ。ということは、「ちとせ」という駅もあるわけで、早速記念撮影である。快速エアポートにのれば、新千歳空港駅から札幌駅まで1時間強のところを、わざわざ2個目の駅で降り、ホームで撮影して次の電車に乗るのだ。端から見ると、バカげた行為だろうが、「稚内まで行く」という段階でバカであるので、おかまいなしだ。
 札幌駅に着いたのは1時近かったし、温度計は22度を指しているし、天候は晴れだったし、湿度が少ないせいか過ごしやすい。なので、北海道出身の人に聞いて「今なら10月末か11月くらいに思っていたほうがいいですよ。長袖はもちろん、セーターとかも持っていった方が…」なんていわれていたので、肩すかしをくらった感じだ。
 早速、市街見学である。「現地の情報は現地で」の鉄則に基づき、札幌駅コンコース内の書店で北海道のガイド(山と渓谷社の「歩く地図・北海道’98~’99」。このシリーズは名前の通り「歩きで観光」をメインに編さんされていて、今回の旅にはもってこいのガイドブック)を購入した。駅から歩いて行けるのは、「大通公園」から「時計台」、「ラーメン横町」くらいだろう。
https://www.ainyan.com/game/tabi/199809/img/9809_02.jpg 最初、駅の北口にでてしまい、なにか違うなと思いつつ目の前のコンビニに入ろうとすると、見覚えのある看板が…。そう、「センチメンタルグラフィティ」で、よく待ち合わせに使う「PASEO」の看板があった。PASEOは札幌駅の駅ビルの名前なのでした。「このまま地下街に行って、ファストフードでお茶するのも、なんだかんだいって一番最初にクリアした、ほのかへのオマージュかなぁ」などと思うが、面倒なのでそのまま南口へ。
 大通公園の前に銀行に行って軍資金をおろすので、そのまま南へ歩く。結構歩く。銀行ある。お金おろす。再度地図みて、大通公園を確認すると、さらに南へ歩くようだ。
https://www.ainyan.com/game/tabi/199809/img/9809_03.jpg 大通公園とは文字通り、通りのように横に長い公園で、この中に噴水や彫像、さらに一番端には、かの「テレビ塔」が建っている。アングルが似るように写真に収めたのはいうまでもない。なお、札幌市街はこの大通公園を中心として、南北に「1条」「2条」…、テレビ塔の裏を流れる創世川を中心として東西に「1丁目」「2丁目」…、とブロックごとに数字が増えていく。
 ちなみに、ここの名物は「コーンハウス」(ただの屋台だが)で売っている、「とうきび(300円)」と「ポテト(200円)」だろう。「ラムネ(150円)」や「かき氷」などもあるが、特別ここに来てまで食べるものでもないだろう。
 ラーメン横町をさがしに、さらに南へ。南4条は大きな通りで、ここから南側が一大繁華街「すすきの」と覚えておくと間違いないだろう。なので、勇気のない人は、夕方から向こう側へは行かないようにしよう。2時ぐらいから呼び込みが立っていて「お兄さん、1万円だよ」とか「うちは、ブスもババアもいないよ」などと声をかけてきて、平気で1ブロックくらいついてくる。中には「食事?それとも遊び?ここらへんはボッタクリ多いから気をつけてね」と地図を見せて、誘導しようとする猛者もいる。「あんたが、ボッタクリちがうんかい」と心の中で突っ込みながら、通り抜けよう。
 
 さて、ラーメン横町。当初、変なところまで行ってしまって、大幅に戻ったのだが、なんとかありました。例の看板。夜なら夜で、「真美ちゃん、もっとくっついて」などと声が聞こえてきそうだが、時間が2時過ぎということもあって、人もまばら。店によってはまだ仕込みの時間だったりする。しかし、高い。ノーマルのしょう油ラーメンで700円とは…。観光地じゃないんだから(いや、観光地だって)。
 しょうがないので、そのまま通り過ぎ、途中、重大なことに気づいた。この旅の目的地でもある稚内にて、友人などにハガキを送るつもりだったのだが、そのハガキを持って来るのを忘れてしまったのだ。普通の官製ハガキではなく、やはり稚内まで来たからにはそれなりに「お嬢様特急」でないと、しめしがつかないでしょ?ということで、ダメモトで電話帳で「アニメイト」を探してみる。あるではないか。しかも、2ブロックくらいのところだし。
 
 ということで、アニメイト札幌店内をうろうろする、金曜の午後3時近く。店内は特別変わったオブジェもなく、いつも行くところと同じである。違うといえば、来ている人間が、そんなに濃くないだけ。でも、店内で配布している「シフォンズ通信」をみて、「ここに来ている人たちで、どれだけこのチラシみて『行きてーけど、行けるか!』と思う人がいるんだろうか」と複雑な気持ちになってしまった、旅先の午後。
 早速、「お嬢様特急」のハガキを握るが、そのそばにこれまた久しぶりにみた「ありすインサイバーランド」のマウスパッドが…。「そーいや、クリアファイルはあるけれど、これは持ってなかったよなぁ」とそのままそれも握る羽目に。結局、2,600円も払っているオレ。「ここまできて何してるんだろう」と思ったらいけない。これは旅なのだから、すべてがイベント。
https://www.ainyan.com/game/tabi/199809/img/9809_04.jpg ぶらぶらと2時間ちかく歩いていたおかげで、そろそろいい時間になってきた。じつは、この旅の裏目的が「ばんえい競馬を見に行く」ことと「サッポロビール園で、食べ・飲み放題」というのがあった。事前に調べた限りでは、駅からバスということだが、地図をみると、歩いていけなくもない。なので、歩く。ひたすら歩く。30~40分は歩いただろうか。目指すサッポロビール園が目に入った。
 ここでは、ホールが3つあって、さらに1番大きいホールの1階と2階でメニューが違うのだ。なので、利用する場合は、ビール園の真ん中にある案内所で「ビヤホール形式」か「食べ放題形式」か告げてそれぞれのホールへの整理券をもらわなければならない。しかし、金曜とはいえ9月の頭、特別に連休前でもなくそんなに夜遅くもないので、混んでないし、なにより1人で利用する人は少ない。
 食べ放題は、北海道名物のジンギスカン。ラム肉(羊)の焼き肉だ。混んでないせいか、それとも元々そーゆーサービスか、肉や野菜の皿や、ビールのジョッキなどが空けきらないうちから「お持ちしましょうか」と聞いてくるので、気持ちがいい。気持ちよく飲み、食べて、そして飲む。ビールは出来たての生ビールだし、肉も臭みはそんなになく、むしろ嫌みがないので食が進む。
 メニュー的には、生ビールの他にウーロン茶やオレンジジュースなどもあるので、お子さまや下戸でも大丈夫だし、途中から切り替えている人もいたからたいていの人は楽しめるだろう。もちろん、食べ放題以外でも、一皿いくらの料理もあるし、黒ビールなどもある。
 そこで、だ。サッポロといえばクラシック。これが好きなオレとしては、ジョッキで飲まないと嘘になるだろう。ということで、最後のいっぱいはクラシックを頼んだ。が、さんざん飲んでいたせいか、あまり味に変化がないように感じた。
 食べ放題コースは100分制限なのだが、「ちょうどいいな」と店を出たのが、入ったときの95分後。時計も見ずにイヤに正確な腹時計にちょっと苦笑。
 ビール園をでてから、さて駅に戻りましょう、となったが、バスがこない。5分くらい待ったがこないので、そのまま歩き始めた。電車を待つのは苦にならないが、バスがダイヤどおりこないのは、なんとなくイヤなものだ。地図を見ると、札幌駅よりも隣駅である苗穂駅の方が近いみたいなので、そちらにむかって歩く。結構歩く。やっぱり30~40分くらい歩いてしまった。
 札幌駅についたのが6時半。やることもないので、そのまま当地の宿、アニメイトを探して偶然見つけた「カプセルイン札幌」にたどり着いた。湯を浴びてからそのままカプセルに入り、明日以後のスケジュール及び時刻表を確認する。8時には寝ようとするが寝付けず、結局10時くらいになってしまった。
●1998年9月5日
https://www.ainyan.com/game/tabi/199809/img/9809_05.jpg 昨夜のスケジューリングどおりに、一路札幌競馬場を目指す。札幌競馬場は、札幌の隣駅、桑園から無料バスですぐだ。ついたら、ちょうど第1レースが出走したところだったので、そのままパドックまで足を運び、2レース目の出走馬を見る。が、見たところわかるほどやりこんでないので、まぁ「汗のかき具合」とか「だ液の出具合」などで、入れ込み具合を見るくらいだ。
 2レースを順当に外して、さぁ次のレース、というところで、Hくんから電話があった。昨日の札幌観光などを話して、電話を切る。いくら安くなったとはいえ、東京~北海道では、高くつくだろうに。
 3レース目、これまた順当に外して、ふと新聞の予想欄で、ある記者が的中させているのに気づく。そこで、それ以降のレースをこの記者の予想通りにマークして買うことにした。
https://www.ainyan.com/game/tabi/199809/img/9809_06.jpg 予想のファクターがなくなれば、時間はあるものなので、場内を見渡すと売店があったので食事をとることにする。メニューを見ると、「うどん」や「ホルモン煮込み」などの定番もののほかに、「ライス」という見慣れないものがあるので、これを頼むことにする。いや、ただのご飯だが、こーいった場所でライス単品を用意しているのは珍しい。
 この日は道営岩見沢でも開催があって、こちらは裏目的の一つでもある「ばんえい競馬を見る」になる。投票券も買ったし、ある程度写真も撮ったので、そちらに行ってみることにした。
 無料バスで桑園につくと、行くときには気づかなかったが、JR駅に隣接して、ダイエーがあるではないか。「ダイエーといえばセービング」、安い食料にはことかかない。無計画旅行には、お金はある方がいいので、こーいったスーパーはありがたい。
 早速中に入り、弁当や飲み物を選んで見回っているところに、ビールの試飲をやっていたので、当然飲む。ちょうど昼時なので、酒類コーナーに人がいるわけもなく、ちょうどいいカモにされてしまうところだったが、飲むだけならタダだし。ところが、サッポロの「五穀まるごと」が、ズドンとくるオレ好みの味で気に入ってしまい、即6本入りを買ってしまう。
 ビールとカメラ、弁当類を持ったまま、電車にゆられること1時間。岩見沢で下車するが、競馬場行きはバスはとっくに最終が出てしまったとのこと。しょうがないので、そのまま帰ろうとするが、これまた駅に隣接して100円ショップがある。適当なつまみを買うには、もってこいだ。
 先ほど乗ってきた電車が折り返しの札幌行きになるので、それに乗る。ついでに、昨日撮った千歳駅ホームの撮影時に、設定が悪くピントが合ってなかったことがわかったので、再撮にいくことにする。快速で、岩見沢~札幌で約40分、札幌~千歳で約40分、結局札幌に着いたときには夕方5時近かった。
 当地で泊まることにしたのだが、例によって例のごとく今晩もカプセルイン札幌へ向かうが、札幌名物を食べていないのに気づき、大通公園でとうきびをつまみに一杯やる。まわりは、家族連れやカップルばかりで、おそらくこんなことやってるのは、そうそういないだろう。ここだけに限らず北海道では、ある程度のパブリックスペースで酒を飲んでいるおやじを見ることがない。もっとも、ホームレスを見かけないせいもあるが。
 カプセルイン札幌に着き、湯を浴びてカプセルに入るが、腹が減ったせいもあって、なかなか寝付けない。うだうだやっているうちに時計は12時近くなるが、空腹はいやせないので、食べに行くことにした。
 適当にぶらつけば、ラーメン屋のひとつやふたつは開いているのだが、いかんせん高い。かなり歩いてからコンビニがあったので、おにぎり2つとお茶を買う。帰りしな、別のコンビニでも、おにぎり2つとお茶のセットを買ってホテルへ戻ろうとすると、なんのことはない、ホテルのすぐそこの路地にラーメン屋があり、しかも500円からと安いではないか。おにぎりを食べているにもかかわらず、ラーメンを頼んだのはいうまでもない。
 カプセルに戻ってから、明日以降のスケジューリングも忘れずにする。
●1998年9月6日
 今日は「岩見沢でばんえい競馬」を見てから北上する。ただし、これでも結構厳しく、早くからスケジューリングしてちゃんと動けば、今日中に稚内についただろうに、と悔やんでみても後の祭り。
https://www.ainyan.com/game/tabi/199809/img/9809_07.jpg 札幌駅を朝9時にでて、岩見沢についたのが10時。1レースは11時からなので、今からバスで行ってもヒマかなぁ、というので、歩き出した。インターネットで調べた岩見沢競馬場への地図をみると、2本ほど通りを向こうへ行って斜めの路地を入ればすぐみたいだ。これが第一の失敗。駅から、車で10分くらいなので、歩いても30分だろう、というので、てくてく歩く。これが第二の失敗。
 まず、地図の縮尺が無いので、20分歩いても、それらしい看板もなにも見あたらない。これはやばいというので、とりあえずバスが通っている道へ行き、バス停で確認したら、なんとそこからバス停が何個もあって、それではじめて競馬場前だ。まだ、バスがくるまでに10分はあるので、しょうがないのでそのまま歩いていったが、途中スーパーで飲み物買ったりしても、1時間はゆうに歩いた。当地に限らず、北海道の「車で○分」は、法廷速度ではなく、けっこうとばしているのだろう。
https://www.ainyan.com/game/tabi/199809/img/9809_08.jpg 結局11時20分くらいに岩見沢競馬場について、入場する。競馬はよくやる方だが、地方競馬場にくるのは、実は初めてで、それがいきなり「ばんえい開催」とはおもわなんだ。
 お子さま向けの遊技施設があるにしても、家族連れが多く、しかもおじいちゃん、息子夫婦、その子供、甥っ子のグループなんて感じで3代そろっちゃったりしてる。スタンドもスタート地点近くがファミリーゾーン、ゴール地点付近がギャンブル親父ゾーンとだいたいの色分けができているみたい。それ以外は「WINSはWINSでも後楽園の6階」に来ているようなオヤジたちでいっぱい。さて、投票するかといつものようにマークシートを探すが無い。そう、「はじめての口頭発売」だ。専門紙にしても、ローカル色豊かな「ばん馬」なぞは、1枚の紙に印刷しただけのもの。しかし、驚くのが隣にある「競馬ブック」。どこの競馬場のどのレースでも作ってる、懐の深さにびっくり。
 ばんえい競馬とは、馬が競走するので、競馬は競馬だが、そりをひくのである。そのため当然サラブレッドではなく道産子で、馬体重も900kgちょっとという馬ばかり(普通の競走馬は3歳時には400kgを切る馬もいるが、それでも通常420~470kgくらい。大きい馬でも520kgくらい)。それが500kgとかのそりをひいていくわけだ。そのためコース全長は200mしかない。それでも、スタート地点から、山をふたつ超えて行くので、単純なスピードだけでは勝てない。この山を登るときの駆け引き(山と山の間で思い切り止まり、息を入れる)のときに、ムチでびしびししばいている。スピードアップというよりは、「動かんかい」という感じのムチだ。よくグリーンピースが反対しないものだ、と思うことしきり。
https://www.ainyan.com/game/tabi/199809/img/9809_09.jpg 例によってスタンド内、というかそのまわりで食べ物を物色する。どうにも「町内会の盆踊りで出ている屋台」という風情のお母さん方が、「ホルモン」(北海道では『モツ煮込み』のことを『ホルモン』というらしい。ここでは『みそホルモン』とメニューに書いてあった)や「おでん」、「とうきび」などを売っている。「おでん」といっても、関東煮ではなく田楽に近く、こんにゃくとてんぷら(薩摩揚げ)を薄く切って串に刺してゆでて、それにみそダレをつけたものだった。でも、100円なので、つまみにはちょうどいい。それらをつまみながら、昨日買ったビール(五穀まるごと)の残り2本を飲んでみる。
 さて、3レースほどやって、スケジュール通りの電車に乗れるように駅に向かう。帰りは当然バスだ。岩見沢を13時28分に出て、旭川に15時48分着。乗り換えに1時間ちょっとあるので、最悪ここから稚内まで車内だから、今食べる物と今日の夜、明日の朝まで見越して買い物をする。ここでも、ちょっと歩いたところにスーパーがあるので、そちらまでいく。おにぎり2個パックで180円などというのは、おそらく旅の人向けなのだろう。
 ここから先は、宿はもちろん、コンビニすら期待できないようなところなので、結構辛い物がある。最初から「1泊はどこかで野宿だろうな」と予想していたにもかかわらず、いざ今日がそうだとなると、気が重い。
 旭川から音威子府まで、3時間近く電車に揺られる。一応、普通電車では今日はここまでであるが、ここから稚内まで明朝始発に乗ったとしても、2時間以上かかる。同じ野宿なら、何もないここで泊まって明日の朝から稚内目指すよりも、稚内まで行ってしまった方がいいのではないか、ということで、急行宗谷に乗り換えて、稚内まで行くことにした。今回の旅で唯一、急行料金を払うことになった。
 稚内。最北の駅。「線路は続くよどこまでも」という童謡を、頭の中で「線路は続くよ、ここまでは」とうたってみる。着いたのが22時半。時間はたっぷりある。せっかくなので、宗谷岬まで行ってみることにした。たぶん、「デスクリムゾン」を手に入れたときのコンバット越前はこんな気分だったのだろう、とゲームキャラと自分をオーバーラップさせてみる。
 「車で50分、今日の教訓を生かしても3時間あればつくだろう」と考えていたが、いっこうにそれらしい通りに出ない。1時間あるいて、やっとそれらしい「海沿いの県道」に出たのだが、この段階で「宗谷岬まで35km」なのだそうだ。さすがに、無謀と思いここから引き返す。帰りは無意味さも手伝って、かなり足が重い。だが、ここで休んだら絶対に動かなくなる、という確信に似た思いがよぎるので、信号待ち以外では止まることは許されない。再び駅についたときには、7日の1時を廻っていた。
https://www.ainyan.com/game/tabi/199809/img/9809_10.jpg 目星をつけていた、アーケード街のベンチに座り、夜飯を食べ、友人へハガキを書く。ポストに投函し、ビールを飲んで横になる。さすがに海のそばの街、風がひっきりなしに吹いている。それに3時間ちかく歩いたせいで汗をかき、かなり寒く感じる。でも、飲んでいるので寝てしまうんだな、これが。
 ふと寒さで目が覚める。時計をみると、まだ1時間しか経ってない。が、さっきよりかなり寒い。ここに温度計があれば、おそらく10度くらいだっただろう。これではやばい、というので、駅の方まで歩く。幸い、駅前に電話ボックスがあるので、その中に入る。暖かいというわけではないが、風があたらない分ましなのだ。が、いろいろとやってみるが、寒くて寝られない。結局、うだうだとそのまま過ごし、駅舎が5時になって開いたと同時に入り込んだ。
●1998年9月7日
 朝5時に駅舎にはいって、始発を待つ。昨日買ったおにぎりを食べる。途中、新聞配達(駅売店用に束で持ってきて置いていく)がきて、何気なく1面を見たら「黒沢明監督死去」の見出しが目に入ってきた。最果ての駅から、ご冥福をお祈りした。
 6時ごろに、列車がホーム入線すると同時に入り込み、記念撮影をする。
 稚内から名寄、名寄から旭川まで乗り継いできて、だいたいお昼頃。列車内で、帰り道のスケジューリングをするが、どうしても今日中に函館にはつかない模様。しょうがないので、小樽か倶知安、長万部のどこかに泊まることにする。
 当地でホテルを探すわけだが、困ったときのNTT。NTT旭川にいって、その周辺の電話帳であたりをつけて、早速予約を入れる。意外と知られていないようだが、ある程度の大きさのNTT局に行くと、全国の電話帳が置いてあって、自由に閲覧できるのだ。今回のような、無計画・現地調達の旅では、この電話帳を利用して、到着する街の情報を先に調べることができるので、重宝する。こと宿に関しては、夜に現地について連絡しても泊まれる保証はないからだ。
 旭川から小樽まで3時間半。小樽でまた小1時間待ち合わせがあるため、駅前の「三角市場」でおみやげを物色する。ここは、乾物から生ものまで安く入手できるため、おみやげを買うには最適である。ただ、ここで買っても少なくともあと1日はあるため、生ものはあきらめ、乾物をチョイスする。当然、旅程中のつまみだ。
 と、駅前に長崎屋が見える。コンビニが見あたらないだけに、ここで食料を調達する。中に酒類もあつかっていて、あまつさえ缶チューハイの半端物が100円で買えるではないか。即4本握る(買う)ことにした。
 小樽から倶知安まで1時間。面白いことに、今朝稚内で一緒に乗った人が、ここまで一緒に来てること。だいたい目的が「とりあえず行けるところまで」という場合、1日のうち動けるダイヤはほぼ決まってくるからだ。それでも運命的な物を感じるほどではないが…。
 旭川で予約していたので、駅前の「駅前ホテル」に泊まる。同じところでハイヤー会社をやっている、というか経営は同じっぽいという雰囲気あるところだ。部屋内は6畳でベッドのほかに、カウンターの上にテレビとインターホンがあって、一応ユニットバスがついている。このユニットバスが笑っちゃうほど狭く、バスの部分が1畳分も無い。自分などがしゃがむと足でいっぱいになってしまうのだ。それに出てくるお湯・水が、なんか燃料くさい。「きっと、これは温泉なんだろう」と好意的に解釈する。というか、携帯電話の充電の方が自分の体洗うより優先なのだ。文句はあっても、使えるだけいいのだ。そのかわり、水はかなり冷たいので、洗面器に水を張って、そこにビールを入れておくだけでかなり冷たくなった。
 さて、2本ほど飲んでから、寝る段になって気がついた。「この旅に出てから、初めて足延ばして寝られたな」と。自慢じゃないが、布団から足が出るのはしょっちゅうで、その分、曲げて寝られるけれども、やはり延ばした方が楽である。列車内でも延ばせるといっても横にはなれないし。久しぶりに楽に寝られた。
●1998年9月8日
 始発に乗るために、6時に目覚ましセット。だが、その前に起きてしまう。この旅に出てから、目覚ましよりも早くに起きてしまう。いい傾向だが、いかんせん寝不足。
 倶知安から長万部まで、1時間50分ほど。長万部に着いたら2時間近く待ち合わせがあるので、そこで朝飯でも食べようと思っていたら、駅に着くと大雨。傘は持っているが、いたずらに濡れに行くことも無いので、待合室でぼーっとする。幸い、駅舎と並んで土産物屋兼スーパーのような店があるので、そこが開くまで待機。
 10時になり、その店が開き、さっそく中にはいるが、例によって安い食べ物を探す。慣れとは恐ろしい物で、バターロールでも食パンでも1袋あれば十分。そのまま食べられるようになった。もっとも、この特技は前からだが。
 長万部から函館まで3時間近くかかり、昼の1時過ぎに函館駅到着。ここにくるまでに雨はやんでいたので、結局傘は使わずじまい。そして、駅前にコンビニがあるので、そこで昼・夜まで見越して買い物。ここから本州へは青函トンネルを通る海峡線に乗るのだが、今は10周年記念で「ドラえもん列車」になっていて、車内外問わず、一連の映画シリーズ名場面シールが貼ってあったり、発車時や青函トンネルに入る時などに車掌のアナウンス後にドラえもんが説明してくれたりする。そのせいで、家族連れが多く、危うく座りはぐるとこだった。
 先日、東北本線の不通区間を聞いてみたら、仙台までは大丈夫なことと仙台から常磐線を経由すれば東京までいけることがわかったので、本州上陸後もこのまま列車の旅になる。一時期は「青森あたりから飛行機、もしくは深夜バス?」とも思っていただけに、無駄な出費が抑えられてちょうどいい。なにせ、函館を出たときから、所持金は2,000円くらいしかなかったのだから。
 青森に着いたのが16時41分。東北本線が始発とはいえ、ちょうど学生の帰り際にあたったため、車内は混んでいる。でも、20時を超える頃にはすいてきた。それに、終点盛岡まで乗る人はそうそういない。
 この青森~盛岡で3時間39分、盛岡~一ノ関でも1時間半、しかもダイヤ上乗り換えといっても、実際には同じ列車だったので、実に5時間も同じ列車に揺られたことになる。
 一ノ関着が23時6分。今日は、以前のような無茶はせず、そのまま眠ることにする。一応、元気な内に周りを歩き、コンビニの位置を確認し、最初から新聞紙をひいて体に巻いて寝る。
●1998年9月9日
 相変わらず、寒さで目が覚めたが、前回のようなことはなく、あと1時間もすれば駅舎も開く時間だった。そのまま横になって時間が過ぎるのを待てばいい。稚内に比べれば、確実に5度は違うだろう。
 例によって始発電車に乗り込み、一ノ関から仙台、仙台から原ノ町、いわき、水戸と乗り継いで、いよいよ水戸から上野行きが今回の旅で最後の乗り換えだ。さすがにここまできたら、間違えても1本後の電車で動ける範囲だし、余裕こいて駅ホームでビールなんざ飲んじゃったりする。ついでに、それを買ったのが最後の1,000円札だったりもする。
 「お嬢様特急」では、本州上陸後、青森~盛岡~仙台~水戸~東京が停車駅になる。どのみち、中央線に乗り換えるので、事実上東京までいかなければならないが、常磐線を端から端まで乗ったことになる。
 東京駅。16時近くに1週間ぶりくらいに、この煉瓦造りの駅に着いた。「何かあるかな」とも思ったが、特別な感情も感慨も無く、ただ暑いことしか覚えていなかった。旅とはそんなものだろうか。それとも、自分が鈍いだけなのだろうか。いや、違う。こうして時系列にそって思いだし、書き連ねていても、また旅に出かけたくなるし、ふとしたときに「先週の今頃は…」と懐かしいとまではいかないまでも、思い出したりする。特に「お嬢様特急」へのオマージュで始まった今回の旅は、まだ終点までいっていない。旅とは、なんだろうか。ただ遠くへ行くだけでも、その答えが見つかるような気がする。