たとえば、一人で生きていくと粋がっていても、やっぱり不安になる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
11日の夜、あれからノートPCを充電し、常備薬だの着替えだのをバックにつめて、ジーパンと靴下はいたまま横になる。あとからベルトくらい外しておけばとは思ったが。隣の住人もつけっぱなしなのか、寝られないのか夜通しテレビの音が聞こえてくる。緊急通報のアラームと実際の揺れが、感覚的には30分ごとにきているようで、うつらうつらしたら目が覚めるのを繰り返す。何度か目に目が覚めた頃、枕元のケータイがなり出す。その頃、3時半。
母からで、「こっちは停電しているが、父も、妹も無事」、ただ暗いのはもちろん、エアコンも使えないし、だいぶ寒いとのこと。お互い、連絡がついたので安心はしたと思う。実際、そこから2時間ほど眠れたし。
その後、6時過ぎにも父から電話があって、タクシー乗務で休む暇も無く、一息入れようにもコンビニになにもなかったことなどを話す。
12日は、断続的な揺れの中、できるときにできることを、と思い、ガスのマイコンメーターの確認して復旧させ、洗濯をし、とりあえず食事をして、一応、作業の予定もあったが、中止になったので、自分の無力さに鬱々と日々を過ごす。
そういえば。もう7年近く前になるが、無線関係の雑誌にいた頃、震災のサバイバル術的な特集で神戸へ取材に行くことになった。会議で神戸のクライアントに話を聞くことになり、「なら、AM神戸とサンテレビにも行くのは?」という思いつき発言が実現したわけだ。
薄っぺらい思い出だが、阪神淡路大震災の当時、ある声優のイベントで、トークの最後に「実は、これからAM神戸に行くので、気持ちでもいいので、募金をお願いします」と言われ、手持ちがなかったので、アタリ馬券を入れた(それでも1万は超えていたと思う)という、ちょっとふざけた感じになったのが、どこか残っていたのだ。
そこでは、思いつきから始まった割には、技術の方や編成の偉い人などが出てきてくれて、ちゃんとしたインタビューにはなったと思う。無線誌的に、送信機がどうこうという話を中心に載せたが、その中で心に残った言葉がある。「忘れないでください」という一言だ。
「被災すると大変なのはそうだが、どうしても『震災があったこと』自体を忘れてしまう。僕たちもそうだし、皆さんもそうでしょう。でも、忘れなければ、心構えも、準備もできる」という文脈だったと思う(取材メモ、テープは編集部に供出したので細かいところは違うが)。
震災があったこと、多くの方が亡くなられたこと、復興に大変な苦労があったことといったおおきなものはもちろん、非常時持ち出しセットを用意すること、寝る前にガスの元栓を閉めること、動きやすい格好で寝ることや靴をそばに置いておくことといった身の回りのことまで、「忘れなければ」被害を最小に抑えられ助かることもある、という意味でとらえている。
そんなことを思い出しながら過ごす、心のやすまらない休日でした。