たとえば、『北斗の拳』のようなことが実際に起こるんだなぁ、という今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
自宅のほうでは、「揺れてる」と思うような余震の数は体感的に減ってきているが、ご存じのように14日から計画停電が行われ、実際に停電することがある。オイルショック以後に生まれたので、電気なんてあって当たり前、天災での停電も数回しか覚えがなく、停電自体も東京電力の工事かビルの法定点検くらいしか思いつかない。外は明るい日常の中で、朝の食事していて何とはなしにつけていたテレビが突然消えるわけである。ハリウッドなら、ちょっとしたホラーかサスペンスだ。
地震のその後
たとえば、一人で生きていくと粋がっていても、やっぱり不安になる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
11日の夜、あれからノートPCを充電し、常備薬だの着替えだのをバックにつめて、ジーパンと靴下はいたまま横になる。あとからベルトくらい外しておけばとは思ったが。隣の住人もつけっぱなしなのか、寝られないのか夜通しテレビの音が聞こえてくる。緊急通報のアラームと実際の揺れが、感覚的には30分ごとにきているようで、うつらうつらしたら目が覚めるのを繰り返す。何度か目に目が覚めた頃、枕元のケータイがなり出す。その頃、3時半。
母からで、「こっちは停電しているが、父も、妹も無事」、ただ暗いのはもちろん、エアコンも使えないし、だいぶ寒いとのこと。お互い、連絡がついたので安心はしたと思う。実際、そこから2時間ほど眠れたし。
その後、6時過ぎにも父から電話があって、タクシー乗務で休む暇も無く、一息入れようにもコンビニになにもなかったことなどを話す。
12日は、断続的な揺れの中、できるときにできることを、と思い、ガスのマイコンメーターの確認して復旧させ、洗濯をし、とりあえず食事をして、一応、作業の予定もあったが、中止になったので、自分の無力さに鬱々と日々を過ごす。
地震
たとえば、人よりは感度は鈍いと思っているがこれほどのはさすがに…という今日この頃、いかがお過ごしでしょうか。
本日の大地震でお亡くなりの方、また避難されている方、お見舞い申し上げます。
そのときは、事務所で作業をしてる最中、「最近、多いわね」なんて思っていても、なかなか収まる気配もなく、またどんどんと揺れが強まっていくとさすがに、こりゃやばい、と。隣のサーバーラックをおさえ、自分の前の棚をおさえ、上に置いてあるHDDとかがふってきそうなのを先に下ろしているうちに、なんとか揺れは収まった。バイトの子を先頭に、非常口の確保をして、みんなが降りている間、即「地震情報」で検索して、宮城県沖で震度6程度というのを目にする。
まぁ、サーバーと心中する気は無いけれど、見守るつもりだったが、さすがに出なきゃまずいでしょということで、財布とケータイを持って外に出る。それから1時間ほどビルの前で待ち、幾度となくくる余震に耐えて、本日の作業を一応終わらせて18時前には帰ることにする。とはいえ、電車はすべからく止まっているので歩いて行くことに。
近所のコンビニで、当然のようにないパン売り場を眺めて、「そーいや、カロリーメイトはあるかな」と思ったら、まだあったので、それを握り、ついでにチョコレートも買って歩き始める。
国道14号を両国、錦糸町、亀戸、平井と通って、途中、隅田川が逆流しているかのようなのを目にして、「10mの大津波」というのを想像する。新小岩の手前でちょいと南にそれていたので、北上し、環七の交差点まできたところで、スーパーがやっていたから、とりあえず入る。パンを買って、S氏と別れ、ここまでで約3時間。ここから、早歩きで自宅に着いたのは小1時間。店に入る以外は休むことなく4時間でついたのだから良しとしよう。
懸念だった、自宅の破損や水漏れ、ガス漏れはなく、上に置いてあったのが落ちた程度だったのでまぁいいとしよう。
とはいえ、実家のエリアが停電していて、固定電話はもちろん、ケータイもつながらないのが心配。とりあえず、出られる用意をカバンにつめて、ジーンズはいたままで寝るしかないかな。